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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕BUSSHO

その人たちはいつも静かで、白っぽい服を着ていた。思いやりに満ちている。それは美術館を拠点にしたコミュニティーで、そこに加わっている人は小さな子どもを連れた若い親たちが多かった。暗い美術館の中庭で、これから合唱を始めるかのように並び、それぞ…

〔小説〕 鏡台

街の 雑音の 密柑むく 山頭火 一月七日 曇、后晴、寒くなつた、冬らしくなつた(昨日から小寒入だ) 銭がなくなつた、餅もなくなつたし米もなくなつた(銭は精確にいへば、まだ十三銭残つてゐるが)。 朝は腹も空いてゐないからお茶を飲んですます、午後は屑…

〔小説〕 ざまみ(一)

待ち合わせの辺鄙な港で、あたしと同じように大きな荷物を抱えて立っていた人を、初めは留年を続けたうらぶれた学生かと思ったのだ。よく日に焼けた腕が薄汚れたティーシャツからのびている。無精ひげに長い髪。歳を訊いたら、三十九だとかいうから驚いた。…

〔小説〕じゃらん、じゃらん。(三)

初回の話 〔小説〕じゃらん、じゃらん。(一) 前回の話 〔小説〕じゃらん、じゃらん。(二)二人で並んで、若宮大路を海に向かって歩いた。もう秋の風が吹き始めているのに、地元のおじさまたちは皆、ハーフパンツにビーチサンダルだ。ジーンズ姿に革靴で、…

〔小説〕じゃらん、じゃらん。(二)

※前回の話 〔小説〕じゃらん、じゃらん。(一) 最初に引っ越すつもりだったのは高円寺あたりだった。小さな古びたアパートがごみごみとある感じと、中央線が高架を、まるで海の上を渡るように走るところに憧れていたのだ。そしていつか、今の仕事を辞めたな…

〔小説〕じゃらん、じゃらん。(一)

じゃらん、じゃらんと、鈴の音がする。布団の中で目を閉じたまま耳を澄ます。あれは通りを征くお坊さまの鳴らす音だろうか。鈴の音は、眠りに吸い取られるように夢に溶けてゆく。 昔旅をしたマレーシア。その土地では「散歩」のことを、「じゃらんじゃらん」…

〔小説〕 亡い人の夢

震災の翌年。脳卒中で搬送された母は意識の戻らないまま集中治療室で二週間を過ごし、そして死んだ。亡くなる日の明け方に見た夢は、いつものように紺絣のもんぺをはき藍染のスカーフを頭に巻いた母が、まるで誰かの見舞いに来たかのようにすたすたと病院の…

〔小説〕 ころぶ

豪快に酔っ払ってふらふら帰る道すがら、よろけて膝をついてしまって、わー恥ずかしいと思いながら家に辿り着く。ひとまず炬燵に潜り込んで眠る。深夜に目覚めたら、床や畳やソファーにぺとぺとと血の跡がついていた。今年買ったばかりのズボンは膝小僧が破…

〔小説〕女が女を愛する時

なんとも百合な、官能的な夢を見て目覚める。しばらく布団の上に座ったままぼんやりとする。同衾している彼女は現実では知らない女で、ゆるいくせのある長い茶色がかった髪をひとつに結い上げている。彼女が懇願するので、その裸の身体をくまなく撫でてやる…

〔小説〕 ウェディングドレス

ウェディングドレスをどうしてみんな着たがるのか疑問だった。純白のドレスを着て「あなたの色に染まります」なんて、冗談でも言えるわけない。一日限りのヒロインになるつもりも毛頭ない。おれはいつでもおれ自身の極彩色を放ち、常に喝采の真ん中に立ちた…

〔小説〕少年 〜 浅川マキに捧ぐ

逃げるように故郷を出て、この街に棲み始めてからようやく一年が経った。馴染みの店も見つけて、そこで呑んでいれば誰かしら知り合いがやってくる。話し相手には事欠かない。夕暮れの風が頬を撫でる頃になると、足はいつもその店へ向いてしまう。結婚するつ…

〔小説〕永久就職

スーツを着るのが嫌になった。雨で湿気た真っ黒のリクルートスーツを脱ぎ捨てて、薄汚れたパーカーに着替える。靴下にサンダルをひっかけ、財布を片手に握りしめて「三日月」の扉を開ける。三日月は学生街の裏道にあるバーだ。蔦が絡まって殆ど廃屋同然のビ…

〔小説〕 猫 二

飼い主を拾ったのは冬の雨の夜だった。傘もささずにずぶ濡れで歩いていたから、手をひいて部屋に連れ込んだ。ぐしょぐしょに濡れて重たくなった背広を脱がせ、鴨居に掛ける。風呂をたてて布団を敷いた。湯からあがった飼い主にバスタオルを投げる。先に布団…

〔小説〕 猫(一)

部屋に帰ると猫がシャワーを浴びていた。鍵を探しているあいだ、鼻歌が窓の向こうから聞こえていた。小さなアパートだから脱衣室なんてない。僅か四畳足らずの板の間が、玄関兼、台所兼脱衣場だ。床に無造作に投げ出されたバスタオル。僕は磨り硝子の扉の向…

〔小説〕 舌を入れて、いいよ。

夢。 おれが棲んでいた「実家」は、改装のため骨組みばかりしか残っていない。まるで木造の海の家みたいに。汚れた畳、吹き抜ける風。おれは友達の彼氏と付き合っていることになっている。彼は畳の上に座り、おれに「キスをしよう」という。「舌をいれていい…

野原海明「コメリナ・コムニス」を試し読みできます。

「わたし、先輩がいたから吹奏楽部に入ったんです」佐々木瑞穂にそう言われたのは五月、演奏会に使う楽器を運び出していた音楽準備室だった。他の部員も顧問の教員もまだ来ていなかった。 「中学のときからずっと好きでした」瑞穂のことは、入部してくるまで…

〔小説〕 霊柩車

霊柩車の助手席に乗って、病院を出る。 母の運転で数え切れないほど通った国道十八号線の高架。今母は物言わぬ物体になり荷台に積まれ、運転席にいるのは見知らぬ葬儀屋のドライバーだ。 行き交う車のヘッドライト。赤く光るテールランプ。暗く空に沈む観音…

〔小説〕 回収処

酒場で独りで呑んでいる女はみんな声を掛けられるのを待っている…わけではないから、そう無粋に口説かないでくれ。 男の目に下心の宿るときは、どういうわけかみな、寄り目がちになる。凝視して服の下まで透視しようとしているのか。何故か誰もが同じ表情を…

〔小説〕 終電車

なんて不覚。 最終電車に乗せられてしまった。 ホームで見送る彼。ドアの傍で手を振るか、さっさと空いてる席に座ってしまうか、迷ってしまうじゃないの。 東京は詳しくないから教えてほしい、とメールした。それじゃあ、お台場でも行ってみようかと返事が来…

〔小説〕 跋扈

中学校において人気のある女子とは、明るくてスポーティーで、元気がよくてちょっといじわるでよく笑う、そういう女の子たちだ。そんなふうにはどうしたってなれない。おれは劣等感のかたまりだった、あの頃。 劣等感にさいなまれるあまり、対人恐怖症になっ…

〔小説〕 梨園

夢。 おれはまだ高崎に棲んでいて、そこで仕事をしている。多くの故郷の友人がそうであるように。故郷は湯船のように心地よく、そこに身を浸していれば外の世界はただ旅をするためだけの土地となる。母親のつくる毎朝毎晩の食事を当たり前のように食べ、毎日…

〔小説〕 五月某日(二〇一一)

五月某日 大学時代の友人久しぶりに逢う。お互い社会人だ。 「いちばんお金使うものってなに」という話になり、「酒」と即答するおれ。 五月某日 かつて自分がつけていたのと同じ香水の香とすれ違い、思わず振り向く。 ホームに電車が滑り込む。電車って、そ…

〔小説〕 着信 “それじゃ、つきあおっか”

「せんせいはカレシいるの?」 教育実習に出向いた先で、中学二年の女の子に訊かれた。 「秘密」 「えー、っていうことは、いるんだ!」 「実習生はさ、そういうこと教えちゃいけないの」 「ふーん、めんどくさいね。……あのね、」 教室掃除用のほうきを握り…

〔小説〕 そういうお店

「男はみんなオッパブに行くもんなんです。オッパブ、わかります?」 隣のテーブルでまだ若いサラリーマンが、ビールジョッキを片手にそんな話をしていた。 「うちの彼氏はそういうお店、行ったことないと思うけど」 これもまだ年若い女がそう答える。 「せ…

〔小説〕 白濁(仮)1

神社の脇にたつ栗の木は毎年五月になると見事な白い花をつけ、わたしはその下を歩くたびにかつて口に含んだ何人かの精液の匂いを思い出す。体臭はひとそれぞれ違うのに、どうしてあれだけは濃さの違いさえあれ、同じような味がするのだろう。つんと、喉を灼…

〔小説〕 かつおだし

だしといえばまず顆粒のインスタントのものが思い浮かんでしまうのは悲しいことだ。あの細いスティック状の袋に入った、茶色い粉薬のような。実家でだしといえばそれを指した。銘柄に変遷はあったが、沸騰したお湯の中にサラサラと入れるタイプのものであっ…