読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

観客の視線が銀幕に溶けてゆく ~ 河瀬直美監督 「沙羅双樹」

映画

邦画によくある「間」が好きだ。セリフのない、場面の展開もない、ただ同じ景色の長回し。その退屈さがたまらない。

久しぶりにそんな映画に出逢った。河瀬直美監督「沙羅双樹」。

間は、冒頭から突然始まる。ひたすら長回し。暗い蔵の中をゆっくり歩いていくカメラ。普通の映画のように、レールを敷いて水平に移動していくカメラはでは、観客にカメラマンの存在を感じさせない。しかし手持ちのカメラで撮影された映像は、カメラマンの存在を主張する。揺れる画面。撮る者の足音まで聴こえてきそう。そして、いつしかスクリーンのこちら側にいる観客自身が、カメラを構えているような錯覚が生まれる。

沙羅双樹 - 作品紹介§河瀨直美オフィシャルサイト 組画

長い長い、ワン・シーン。そのシーンの中にセリフはほとんど無く、主人公の顔すらめったに映らない。坂のある古い町並みを、全速力でかけていく少年。その背中を同じく、全速力で追うカメラ。少年が振り返ってもカメラと目が合わないのが不思議なくらい、「こちら側」の人間の存在が伝わってくる。ふと、主人公の俊(福永幸平)が足を留める。すると、今まで遠くで聴こえていた風の音や蝉の声が急に勢いを増してくる。ざわめきの中に取り残されてしまう。その瞬間に、観客も閉じ込められてしまう。

定まったセリフは用意されていないのかもしれない。会話のぎこちなさが、かえって現実味を帯びる。言い淀んだり、笑うところでもないのに照れ笑いをしたり。あらかじめ用意された演技ではなく、自然に役者の中から浮き上がってきたもののように見えた。

自然の音を効果的に用いた音響も素晴らしかったが、やはりいちばん印象に残るのはカメラワークだ。画面が光に染まるタイミング。ほんのわずかなスローモーション。ホームビデオの映像のようなのに、決して素人には真似できない。え、一体どうやって映しているの?というような目線の動き。日常であり、異次元である、古い町並みで起きた空間のねじれ。