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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 かつおだし

だしといえばまず顆粒のインスタントのものが思い浮かんでしまうのは悲しいことだ。あの細いスティック状の袋に入った、茶色い粉薬のような。

実家でだしといえばそれを指した。銘柄に変遷はあったが、沸騰したお湯の中にサラサラと入れるタイプのものであったことに変わりはない。

恋人が目の前でかつお節からだしをひいたとき、それはそれは驚いた。もっとたくさん工程があり、ややこしいものだと思っていた。

沸かしたお湯の中で削り節が踊り、瞬時に金色に染める。

それはまだ今の部屋に引っ越す前のこと。

築ウン十年のボロアパートの室。前の住人がそのままにしていった油じみたガスコンロ。紐をひいてつける、青い羽の扇風機のような換気扇。わびしい台所に、だしの香りがふわりと広がる。

そんなどうでもいいような日々の一瞬が、異様に嬉しかった。立ち昇る湯気と香りの中で、恋人の背中に手をまわす。