醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

孤独の飼い馴らし方

去年のちょうど今頃、盛岡で自動車の教習を受けていた。合宿中の滞在はビジネスホテル。ヒールでコツコツとロビーの床を鳴らす。ホテル暮らしはなんだか贅沢な気分だ。

家族とも恋人とも友人とも離れ、一ヶ月弱を過ごしたイーハトーヴ、モーリオ。夜の盛岡繁華街で、私はひりひりと孤独について考えていた。ぶらりと立ち寄った本屋で、寂聴さんのこんな本と出会ったから余計に。

孤独を生ききる (光文社文庫)

孤独を生ききる (光文社文庫)

「人間とは生まれる時もひとりなら、死ぬ時もひとりである。また、人と一緒にくらしていてもやはりひとりなのだ。死ぬときまで一緒に死ねる人はいないのだから」*1

盛岡へ行く少し前、一年間続けた派遣職員の仕事をやめ、大学も夏休みになり、自由な時間の多さに気がふれそうになっていた。果てしなく続くかに思える一人の時間。行くあてもなく、することもない。遊ぶといってもこれまでは仕事と授業尽くめの毎日、遊び慣れていないから遊び方がわからない。まるで定年後のサラリーマンのような、はたまた子育てを終えた主婦のような悩み。

友達と会っても夜が来れば一人になってしまう。恋人とだって二十四時間一緒にいられるわけもない。実家に帰るのは悔しい。一人の部屋。白い壁。青いだけの空。蝉の声。誰かと笑いあった日々がすべて幻のように思えた。

盛岡は孤独の延長戦だった。それでも景色が変われば心持は変わる。知らない街を歩き、知らない店で酒を飲み、私はようやく一人でも大丈夫だと思えるようになった。

一人は寂しい、一人は辛い。だけど、自由だ。

盛岡の夏から一年が経ち、また偶然に「孤独」を書いた本と出逢う。懐かしさとあいまって手にとった。

もともと一人でいるのは好きだった。だけれど、一人でいる時に感じる敗北感は何なのだろう。鴻上さんは「友達100人できるかな♪」の歌が刷り込みになっていると言う*2。「友達は多い方がいい」という価値観は、絶対じゃないのに。

孤独と不安のレッスン

孤独と不安のレッスン

弊害は例えばSNSのミクシィを始めると、むくむくと首をもたげる。ハンドルネームの隣に常に、登録している友人の数が常に表示されるから、なんだか焦る。他の人に比べて私は友達が少ないんじゃないか、とか。

友達の価値は、寂しさを紛らわすための数、なんかじゃないのにね。

*1:瀬戸内寂聴 『孤独を生ききる』 (知恵の森文庫) 光文社 2005.2 p.19

*2:鴻上尚史 『孤独と不安のレッスン』 大和書房 2006.7 p.59