醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

瀬戸内寂聴 「新寂庵説法 愛なくば」

実家に帰ると、母の本棚には寂聴さんの著書がたくさん並んでいます。暮れから正月の帰省中に、新たに二冊読み終わりました。寂聴さんの文章は、読みやすくて美しい。さらりさらりと、染み透るよう。今日昼間にテレビを点けてみたら「女の一代記」シリーズのドラマを再放送していてびっくりしました。寂聴さんの回はビデオにとって繰り返し見たので、今日で三度目。

「新寂庵説法 愛なくば」は、雑誌に連載されたエッセイをまとめたもののようです。手紙形式で書かれたものもいくつか収められています。井上ひさしさんの離婚騒動や、闘病する生前の美空ひばりさんに当てた手紙など、時代を感じさせます。

新寂庵説法―愛なくば

新寂庵説法―愛なくば

エッセイの中には、悩みや苦しみを抱えて寂庵の門を叩く人が次々に現れます。夫の浮気を知って息巻く妻、愛する人を亡くした女、不倫に走る妻、自殺によって子に先立たれた母、障害者の夫を持つ妻、嫁や息子に冷たくされる姑……。

人生に楽な道は無くて、どこをどう歩いてみたところで苦しみにはぶつかります。苦しみや辛さはどこにでも転がっている。仏教では四苦八苦と言い、生・老・病・死と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の苦しみがあると説かれています。その苦しみの素となるのが煩悩。百八あると言われる煩悩の中で、もっとも激しく避けがたいのが「渇愛」ではないかと寂聴さんは語ります。

この本の中に出てくるたくさんの苦しみ。その痛々しさを読んでいると、自分の人生の辛さなど芥子粒のように思えてしまいます。でも、本当は苦しみの大きさなんて量れない。量る意味も無い。

「孤独に耐える」という章がありました。孤独というのも辛いものですね。でも人は独り。大勢の友達に囲まれても、愛する人といても、やはり独り。そしてそれは、本当は辛いことではないはず。孤独に強い女になりたいと思うのです。

 [前略]作家はどんなに愛の熱い家族に囲まれていても、ものを書くときは書斎に閉じこもり、独りにならなければならぬ。人と喋りながら、ものは書けないからだ。
 女の作家になるには、孤独に耐えることが才能の次の条件になる。そのため、女の作家はひとりで年老いても割合平気で元気に生きつづけていけるのではないだろうか。
 (瀬戸内寂聴 『新寂庵説法 愛なくば』 講談社 1988. 3 p.96-97)