醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

瀬戸内寂聴 「寂庵浄福」

寂庵浄福 (1980年)

寂庵浄福 (1980年)

実家の本棚にあり、私が読んだのは右記の新刊本でした。化粧直しを何度もされ、文庫本として新たに出版されているようです。

寂庵浄福 (集英社文庫)

寂庵浄福 (集英社文庫)

寂庵浄福 (集英社文庫)

寂庵浄福 (集英社文庫)

本はそのまま持ち歩くと、カバーがぼろぼろになってしまうことがよくあります。母はそれを避けてカバーを外して読んでいるので、母の本を借りるときは私もそれに習っています。「寂庵浄福」の一九八〇年版はカバーも襖絵のようで美しいのですが、外してみて驚きました。紫の光沢ある布張りに、金の文字。なんて雅なのでしょう。

この本では寂庵の十二ヶ月が、折々の写真を交えて綴られています。ページ数が漢数字で表記されているのも素敵。一九八〇年版のものを見つけたら、ぜひ手にとっていただきたいと思います。

 [前略]愛したために傷つくことを恐れる生き方は二千五百年前の釈尊のことばである。釈尊の教えの中には歳月を超えた真理が多い。苦しまないために愛するなという教えもまた永遠の真実である。
 しかし、私はやはりこれから人生を味わおうとしている人には、苦しむことを恐れず、愛せよといいたい。愛のもたらす苦しみを知らず、どうして愛の聖なることが理解出来るだろうか。
 すでに越えてきた私の過去の残骸を廻想しても、私はそれらのどのひとつにも後悔はしていない。あのめくるめく快楽と、骨も灼く苦しみを経たからこそ、現在のこの平安と浄福にたどりつけたのだと確信するからである。
 (瀬戸内寂聴 『寂庵浄福』 文化出版局 1980. 7 p.29-30)

引用が長くなってしまいましたが、一番好きな部分なのです。まずは煩悩を絶ち、苦しむ根元を無くすのが仏教の教え。でもこの世に生まれてきたのだもの。ぼろぼろになっても、恋の炎を燃やしたい。渇愛地獄の中で息も絶え絶えになっても。底の底まで堕落してでも。

この本の最後の冬の章には現代の雲水と、私の大好きな山頭火についても書かれています。呑んべでぐうたらで、どうしようもなくて。でも愛さずにはいられない、その人生。