醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

ゆっくりの豊かさ

東京に出てきたばかりの頃、皆がせかせかしていることに驚いた。電車は五分もすれば次の車両が来るというのに、誰もが駆け足で乗り込もうとする。信号も二、三分待っていればすぐまた青に変わるのに、その待ち時間を惜しむように、点滅する中をダッシュで駆けていく。

私が高校時代をすごしていた村は、今思えば信じられないほどゆったりと時間が流れていた。バスが一時間以上遅れるのは当たり前。バス停で他愛も無い話をして盛り上がっていた。村に信号は一つだけ。国道以外は、めったに車はやってこない。

こんなに便利な都会の中で、人びとは「もっと早く、もっと早く」と追い立てられているようだ。そういえばブログを始めたばかりの二年前にも、同じようなことを書いていたのを思い出した。

速さに飲み込まれそうになっている自分を、秋の夜長が引き止める。もっと、ゆっくりでもいいのだと。いや、ゆっくりのほうが、より豊かなのだと。

心が急いていると料理をする手もあやふやになる。気がつくと乱暴に野菜を扱っている。そんなときふと、いつかku:nelで読んだ佐藤初女さんの記事を思い出す。高山なおみさんが記事を書いていた。

初女さんは、ていねいにていねいに野菜と向き合う。野菜も生き物だから。それは時間のかかる作業。でも決して、おろそかにしてはいけないことだ。人参が痛くないように皮を剥く。ごぼうの性格をみて料理方法を決める。

食べることが適当になると、命をいただいていることを忘れてしまう。なにも肉だけに命が宿っているわけではない。ベジタリアンであっても、野菜の命を奪っていることにはかわりない。カップヌードルも、コンビニの弁当も、スナック菓子も、もとは生き物なのだ。何かを殺して命を奪わなくては、私たちは生きてはいけない。

それを、忘れないようにしたいと思う。ひとりの食事でも、「いただきます」と「ごちそうさま」をつぶやく。ちょっと恥ずかしくはあるけれども。

今日も私を生かしてくれてありがとう。