いのちを食べる
初めて携帯電話のカメラを使ってみた。撮ったのは机の上にある大根の葉っぱ。味噌汁の具にしようと思って育てているのだけれど、面倒を見ているうちに可愛くなって食べるのが惜しくなってしまった。
畜産業の人びとは、どんな思いで動物たちの世話をしているのだろう、と思う。可愛がって大切に育てることと、その肉を美味しくいただくこととの間にあるものは何だろう。
今公開されている映画「いのちの食べかた」を見なくてはならないかなと思う。
「命を奪う」という段階を他の誰かにゆだねて、モノとしてしか見えなくなったカタチでスーパーに並ぶ食材たち。それらがかつて生き生きと呼吸や光合成をしていたことを忘れないでいたい。
今日はヨリと一日を過す。一日の始まりと終わりを一緒に迎えて、その間にはそれぞれひとりでいる時間がある、というのがいちばん精神安定にいい気がする。
ヨリに起こされて、久しぶり太陽の光を浴びた。私が起きないと光合成ができない大根たちも、今日はいつもよりのびのびとしている。
私の部屋は北向きだけど、冬の間だけは前のマンションに反射した日の光が差し込む。貴重な昼間を、気持ちよく生きたい。
明日も、早く起きよう。