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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

鎌倉には「ヒグラシ文庫」という窓が開いている。

千駄木の「古書ほうろう」へ、水族館劇場の芝居「公然たる敵 -ロストノスタルジア-」を観に行って来た。

芝居というものをそんなに観に行くわけでもないおれが千駄木まで遠征したのは、「ヒグラシ文庫」と関わりをもつようになったからである。

小町通り若宮大路に挟まれた裏路地。そのまた影に隠れるようにした二階に立ち呑み屋「鎌倉ヒグラシ文庫」はある。震災の混乱も醒めやらぬ二〇一一年四月二十日に産声を上げたばかりの小さな店だ。鎌倉には珍しい値段設定で、日本酒は三〇〇円、ビールは四〇〇円で呑める。肴も、高いものでも四〇〇円程度。旨い肴で毎日でも酔っぱらいたい呑ん兵衛たちが、泣いて喜ぶ店なのである。

おれが初めて立ち寄ったのは、オープンから丁度一ヶ月が経った五月十九日だった。考えてみればおれとヒグラシとの付き合いはまだ半年足らず。しかしこの短い間にこの場所で出逢った人々がおれの人生をがらりと変えてしまった。この場所は「立ち飲み屋」という形をとった、人と人とをつなぐ媒体なのである。

都会に借家暮らしをしていれば、近所付き合いなど殆ど無い。隣に住む人の顔すらよく知らない。そんなふうに人と人とのつながりが薄くなっていた矢先に、あの震災が起きた。昨日までそこに有ったものが全て波に呑まれて藻屑になる。絶対安全だと言われていたものの嘘にみんなが気づいてしまった。全て失うかもしれない可能性。安心して暮らせる明日など本当に来るのかわからないという、漠然とした不安。そんな世界で、おれたちがすがれるものはお金でもなければ社会的な名声でもない。誰か、傍にいてくれる人の手だ。確かに繋がっているのだという実感だ。

立ち呑み屋なので、独りでふらり来る人も多い。そうして呑んでいるうちに、なんとなく隣の人と友達になる。年齢も職業も関係ない人間関係って貴重だ。学校で出逢った友人たちは同世代ばかりになってしまうし、職場の友人は同業者ばかりになってしまう。

ヒグラシ文庫でお客が呑んだ売り上げは、主にイベントの運営資金になるようだ。ライブに講談、それから芝居。鎌倉のお店が会場になることもあるけれど、たいていは店主である中原蒼二氏が棲まう「逗子ヒグラシ文庫」で開かれる。もとは僧房だったという、広い座敷のある平屋。イベントが終わったあとは手料理と振る舞い酒で直会となる。

少し前までは、近所の人みんなが一所に集まり、飯を食い酒を呑むなんていう光景はあたりまえの姿だったのだろう。たとえば村祭りの夜に。けれどそんなこと、現代ではほとんどなくなってしまった。はじめて逢った人と同じ釜の飯を食い、一緒に酒を呑む。イベントを楽しむと同時に、新たな繋がりが生まれていく。

おれもそうして、この場所に引き寄せられてきた。はじめは完全な客としてイベントに参加していたが、二回目にはお手伝い、三回目からは主動スタッフとして関わるようになった。

おっと、水族館劇場の芝居について書こうとしていたのだけれど長くなってしまった。今宵はひとまずこの辺で。次回に続きます。