読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

食べること。

浄智寺で「天のしずく*1」を観る。辰巳芳子さんのことは知っていた。本を何冊か持っていた。暮しの手帖の連載も時折読んだ。

あなたのために―いのちを支えるスープ

あなたのために―いのちを支えるスープ

辰巳芳子の旬を味わう―いのちを養う家庭料理

辰巳芳子の旬を味わう―いのちを養う家庭料理

だけれども、「こうであらねばならない」ということが多くて、無精の私はたじたじしてしまうばかり。せっかく買った料理本もほとんど実践せぬままに古本屋へ流してしまった(ごめんなさい)。 

料理をしない女、で最近は通しているが、ほんとうは案外料理は好きだった。独り暮らしを始めて、うれしくて、料理の本をたくさん買い込んで片っ端からつくったりもした。五カップ分の出汁をあらかじめとっておいて、保存容器に入れて冷蔵庫にしまって毎日使う...なんてまめなこともやっていた。今では誰も信じてくれないと思うけれど! 

食べることは生きることだ。もしくは、生きることは食べることだ。と、この頃出逢った仲間たちが言う。そうかもしれない。 

生きるのに飽くと、まずは食べることへの興味が失せる。食べることが面倒で面倒で仕方なくなる。食べる時間がひどく無駄に思えてくる。

とりあえず空腹が静まればいい。そう思っていた頃があった。生きる意味なんてわからなかった。

明日、砲弾に撃たれて死ぬわけでもない。飢えて死ぬわけでもない。だけれどよくわからない放射線の不安がいつもどんよりとある。洗濯物を外へ干すことさえ緊張する。恋人を愛している(と自分に言い聞かせてみる)が、先は何も見えない。こんなときに傍にいてもくれない。小説は全然書けない。仕事は面白くないこともないがストレスが溜まる。計画停電で部屋は暗く寒い。

生きる意味のわからない者にとって、食べることは苦痛だった。こんな世界に何のために生きるのかわからないのなら、早く死にたいといつも思っていた。

 毎晩呑み過ぎて空の酒瓶ばかりが増えていき、毎朝二日酔いになって通勤途中の駅で何度も吐いた。職場でも吐いた。それがあたりまえの日々になりつつあった。

 あの頃、呑み歩こうとせずにただひたすら一人で家で呑んでいたら、おれはそろそろ廃人になっていただろう。呑み屋で出逢った友人たちに、おれは命を繋いでもらっているのだ。

 映画の前に辰巳芳子さんご本人のトーク。やっぱり恐い人だった...!そして、愛の深い、深い人だ。

 ステレオの音声が片方しか出ないハプニングがあって、半分くらいの観客は諦めて帰ってしまった。それでもスタッフが懸命にどうにかしようとしているので、残ることにした。とりあえず、鞄からキーボードを出して仕事をしながら待つことにする。

 ぎゅうぎゅうだった会場が程よく空いたところで、上映は成功した。安心されたのか、辰巳さんの温かい応援に打たれたのか、主催者の方が最期の挨拶で思わず流された涙が素敵だった。

 待ち合わせてヒグラシ文庫へ行く。なんとなく、感想を話し合う。