妻
世間体だとか、職場での立場だとか、そんなものを考えてみたことは、そういえばこれまでに一度もない。
誇れる世間も、出世のための職場も、おれには無い。
指を差されて、後ろ足で砂をかけられて、それでも人生は素敵だと思っている。
他人の評価はおれの物差しじゃない。
何も失うものはない。
おれはおれの母親の人生を想う。
バツがいくつ付こうと、堂々と生きていける人であっただろうとおれは思っていたけれど、そうでもなかったのかもしれない。
いくつもの裏切り、いくつもの絶望。
世間からの批判。
小さな子供を守らなくてはならない責任。
愛し合っていない夫婦のもとで育った子供は、結婚に理想を持つことができない。
おれは結婚するくらいなら死んだ方がいいと、年端もいかないころから思っていた。
母はいつでも死にそうな顔でお勝手に立っていた。
死にそうな顔で洗濯機をまわし、死にそうな顔で掃除機をかけていた。
おれは「妻」という生き物には決してなるまい、と思った。