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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

書く時間

こんなにも書きたいことや、書くべきことや、書かずにはいられないことが溢れているのに、書くために充てる時間が持てないというのは本当につらいことだ。

平日の図書館勤務の日は、行き帰りの電車のなか数十分と、朝に立ち寄るカフェの5分、昼休みの30分、お茶休憩の10分のみが書ける時間となる。

図書館の仕事は、カウンターで接客をしながら目録を詰めて行くという、外と内と両方にエネルギーを使うものだ。幸いにして残業はめったにないが、一日が終わると様々な神経がすり減っているのがわかる。くたくたの体を引き摺るようにして呑み屋に行き、アルコールの一杯を流し込むと、緊張に凝り固まった躯がようやくほぐれるような気がする。その後家に帰れば、出来る限り早いこと風呂に入って布団に潜り込んでしまいたい。

わずかな時間を切り詰めてキーボードに向かう。
本当は手で書くのが好きだが、なかなかそんなことも言っていられない。僅かな時間をかすめとって、かつてワープロ検定で鍛えたタイピングの早さで、ドドドドドッと書き連ねる。

書くことは辛い。
書いている内容それ自体がおれ自身を傷つける。
それから、書きたいことの書けない我が未熟さに腹がたつ。
書きたくはないけれど、書かねばならないこともある。
図書館の仕事の合間を書く時間に充てることは、だからとても辛いことだ。
休み時間が休み時間ではなくなるのだから。
休み時間は出来ることなら、何も考えずぼーっとして珈琲を飲んだり、好きな本を読んでのんびりしたいものだ。

週に一度くらいの頻度で、隙間時間を縫って書いていることがとてもとても厭で何も手につかなくなる。書き始めてようやく文章がのり始めたと思ったところで休み時間は終わるので、おれは不完全燃焼のまま、また常識的な社会人に戻らなくてはならない。嫌気が差してどうにもならないときは書かずに休み時間を過ごしてみるが、書かないことは書くよりももっと辛いことだ。

書くことがどんなに辛くても、書く時間を持てないということは、おれにとっては「食事の時間がない」ことと等しく根本的なダメージなのだろう。