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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 五月某日(二〇一一)

小説

五月某日

大学時代の友人久しぶりに逢う。お互い社会人だ。

「いちばんお金使うものってなに」という話になり、「酒」と即答するおれ。

 

五月某日

かつて自分がつけていたのと同じ香水の香とすれ違い、思わず振り向く。

ホームに電車が滑り込む。電車って、そういえば龍になんだか似ている。

 

五月某日

夢の中で美味しい中華料理を食べ、ビールをごくごく呑んでいた。小汚い店なのにサービスが良く、次食べるものを注文しようとした瞬間に、まさにその料理が出てくる。まあ夢だからなんだが。次第に店は広く美しくなり、最後にはテーブルクロスまでかかっていた。

 

五月某日

離れれば恋しい。逢えばうっとうしい。

恋人の為に夕食をつくる。

 

五月某日

電車のなかでもそもそと菓子を頬張る女子を見ている。

人前で食欲を満たすときは豪快に。

 

五月某日

いよいよUFOは確認済飛行物体になるのだな。

 

五月某日

「仕事と私、どっちが大事なの?」なんて古風な質問をする女が今どきいるのだろうか。
むしろ逆に草食男子のほうが訊いたりしてな。「まったく君という人は、僕と仕事とどっちが大事なんだ!」なんつってな。

 

五月某日

お酒を切らしてしまって、なにやらとても哀しい。

 

五月某日

雨の中をえっちらおっちら歩いてくると、まるでプールの後の午後の授業のような気怠さに。
古本屋で購った文庫本はチョコレイトの香り。古い紙とインクの匂いだ。

 

五月某日

親戚の葬儀。参列者の最高齢、御歳九十三歳の親戚のじぃさまは、一週間に一升瓶を五本消費する。固形の米は歯がもう無いので喰わない。ひいひい孫くらいのおれたち世代に「今日も明日もあたしはメンス、あんた惜しかろせつなかろ」と卑猥な唄を指導してくれる。

 

五月某日

さあ、「なんにもしない」をしよう。

 

五月某日

昨夜見た夢。「海と山が見えるところに棲みたい」と不動産屋さんで話していると、いつのまにか自分はそういう家に棲んでいる。湾の高台に建つ物件。南の窓の遥か下には海面が光り、西の窓からは湾が一望できる。すると、地震もないのに突如海面が盛り上がり、窓の外を覆い尽くす。

 

五月某日

もう毎晩ふとん敷くのが面倒くさくて、そのへんで適当に寝てしまうオイラさ。

 

五月某日

夜が明けるのがあまりにも早くて驚く。このまま起きるべきか寝るべきか、迷う美しい朝。

 

五月某日

風にはためく服が好きだ。飄々と風の中を、おれはこの身ひとつで歩いていく。

 

五月某日

「アイスコーヒー」と入力しようとすると、「愛す珈琲」と変換してくれるおれの素敵なMac。

 

五月某日

今日、すごくあやしい服装でぶらぶらしていた。人が道をあけてくれて、歩き易いことこの上なし。

 

五月某日

伝えたいことがあるから書くのではない。書かなくては生きていけないから、書くのだ。

それはもはや呼吸をすることや食事をすることとなんら変わりはない。そうでなければ、生涯を通して書き続けることなんてできない。

 

五月某日

百人が「嫌なヤツだ」と言っているひとでも、自分自身がそう感じるまでは嫌なヤツとして扱いたくないと思う。それでもこういう非常時になってみると、「あ、この人は自分の損得しか考えていないんだな。だからこんなに嫌われているんだな」と、見えてきてしまうもの。

 

五月某日

畳でくるぶしをすりむいた。

このフラストレーションを投げつけたいが、跳ね返ってくるだけだわよね、きっと。

 

五月某日

おれのカバンの中が宇宙。(ケイタイの充電器を探している)

 

五月某日

雷雨が死ぬほど好きだ。おれが生まれたときは三日三晩雷雨が降り続いたという。翌朝、梅雨が明けた。

赤ん坊だったおれの凄まじい天然パーマに、親戚は雷神様を思ったという。ドリフターズの。

 

五月某日

「私って〜じゃないですかぁ、」と言われると、即座に「知らん!」と答えてしまいそうになる症候群。

 

五月某日

子どもの頃、ラーメン、ハンバーグ、オムライスが嫌いで食べられなかった。何が好きだったかというと、蕎麦。しかも最初はつゆをつけずに味わい、「この蕎麦はちゃんと蕎麦の香りがするね」とか言ってた。……いやなガキだな。

小学校の頃の文集を見てみたら、好きな食べ物に「さんま」って書いてあった。呑んべえの道、確定だね。

 

五月某日

昨日は職場にも履いていけそうなシックなサンダルを買いに行ったが、「そちらですと今私が履いているものとおそろいになりますね」という店員さんの言葉に衝動買い欲が萎え萎え。おそろは嫌じゃ。

 

五月某日

そういえば今年の年明け、「この一年は独り立ち呑みの極意を学ぶぞ!」と拳を握ったような気がする。酔っぱらった帰り道に。

 

五月某日

ゆるやかな自殺のごとくはつなつに洗い物干すベクレルの昼

 

五月某日

今日は久しぶりに布団で寝るんだ。(いつも酔っぱらって適当にそのへんの畳の上で寝てしまう)

 

五月某日

原稿用紙が好きなんだけれど、興がのってくると走り書きになってきてあとから自分でも判読不能になる。

 

五月某日

この雨のなか、陽気に唄いながら散歩している、長いスカートぼさぼさ頭のあやしい女がいたら、たぶんそれは私です。

 

五月某日

本が好き、本に囲まれて仕事がしたいというのなら、あえて図書館司書を選ぶ必要はない。

 

五月某日

ジャズ喫茶でおれはじっくり考え事をしたいんだが、初めて来店したらしきおばさま方が下世話な話題で盛り上がっておるのでつい耳がそっちに向いてしまう。文学部を馬鹿にするのはやめてくれ。ジャズ喫茶なんだからジャズを聴いてておくれよ。

と思っていたら、にわかに音楽のボリュームが上がった。女はそうやって、他人様の悪口や噂話をして情報交換して、種を長らえさせてきたんだね。どこのうちの旦那が浮気をしているとか、どこのうちの息子が出来が悪いとか、そんなことはどうでもいいと思うのだがな。

 

五月某日

夜咲く華はなんでそんなに美しいのだろう。

 

五月某日

今日はなんだか胃が疲れている気がするから、湯豆腐で一献といこう。(そうです、それでも呑むのです)

学生時代にいっとき澤乃井の「大辛口」にはまって、そればっかり呑んでいた。どうなんでしょうね、そういう女子大生って。

早稲田通りの脇道をそれると、「さど」という名の小さな呑み屋がある。新潟出身の、元カフェー女給だったキュートなおばあちゃんと、笑顔のまぶしいおかみさんと、強面の大将。いつも独りでふらっと行って、美味しいつみれの鍋やお刺身で新潟のお酒をたくさん呑んだ。そんな学生時代。

 

五月某日

熱燗にしたい陽気だ...

いまね、自分に「寝なさいよ」って言い聞かせてる。

 

五月某日

古本屋の棚をスルーするのは難しい。二度とは出逢えないであろう、絶版本の数々、美しい活字。

藤沢駅構内の古本屋のワゴンの前で悶々とする。

 

五月某日

エコとエロとテロとをいつも読み間違える。

 

五月某日

唄を唄えば「酒やけのハスキーな声がいいね」と言われる、おれは20代。

 

五月某日

毎晩寝るのが惜しく、毎朝起きて満員電車に乗らねばならぬがことに辛い。

 

五月某日

アイメイクって、めったにしない。なぜなら、おとすのが面倒だから。

 

五月某日

一日に三度も飯を食うのが面倒なこの頃なのだ。独り暮らしを始めてから、朝飯を食べなくてもいいことにほっとした。最近は夕飯も食べないことが多い。そんなことを言っていると、食べたくても食べられない人たちもいるのだと、いつも怒られる。

 

五月某日

お隣のアベックは静かに読書をしながら瓶ビールとミックスナッツ。

こんなところで呑んでいると、李白の詩が頭をよぎる。おれはババアになったら酔仙と呼ばれたい。

 

五月某日

畳になんか生き物っぽいものが落ちていて、ひ〜っと思ったらニボシだった。

湿気でちょっと魚に戻っていた。

 

五月某日

地球は丸いから、いつでも君が立つその場所が、世界の中心なんだ。

 

五月某日

笹の葉、さらさらと舞い散る。

 

五月某日

雨が降るとミミズが路上に出てくるのは、土の中が水浸しになって息ができなくなるからなんだそうな。それを聞いた前の職場の後輩は、非常にがっかりしていた。「“うぉー、恵みの雨だ!”って、歓喜のあまり躍り出てくるのだと思っていたのに!」だってさ。

 

五月某日

猫と一緒に暮らしたいが、気ままに旅に出られなくなるのがネックだ。いつ旅に出るのかも、帰ってくるかどうかも約束できん。お互いそういうふうに生きていこうぜ、と、言い合える半野良でないと。

そしてそれは、人間でも同じかもしれない。と、ときどき思うよ。

遠い空の下で今頃仕事真っ最中の恋人を想う夜。

 

五月某日

人生は一直線じゃなくて、らせんを描いているんだ。

 

五月某日

ワインを買えば一本するりと呑んでしまう自分を叱ってやりたい。最初にビール500ml缶を2本呑んでおけばそこまでいかないだろうと思ったのは大間違いだった。

 

五月某日

今うちにあるテレビは男がどこからか拾ってきたもので、そうでなかったらおれのうちにテレビがあるなんてことはなかっただろう。もちろん地デジ対策などしていない。あと数日間のテレビ生活だね。

 

五月某日

産まれた瞬間におぎゃあと泣くのは、ぺしゃんこな肺を空気で膨らますため。そのときに吸い込んだ空気の一部は、生涯肺の中に残っているのだそうだ。とういことはおれたちは、死ぬまで故郷の空気を胸に抱えて生きている。