桃山邑 TALK EVENTより、覚え書き
銀座のクオリア・ジャンクションへ、水族館劇場*1の桃山邑さんの講演を聴きに行って来た。
以下、メモより。後ほど纏めますが、ひとまずは箇条書きにて。
- ファシズムに傾きつつある日本
- リセットできない世界
- 希望を萎えさせるような出来事 フクシマ
- これからの世界に芝居で楔を打つ
- 明るい希望ばかりの掛け声は信用できない
- 溢れる物、その果てにこの世界を引き受けざるをえなくなったのか
- 「いい芝居」をしたいとは思わない
- 国家に忠誠は誓えない
- 世の中の取るに足らない者と思われている人々の怨念が藝能のはじまりか
- 取るに足らない者たち、負けていく者たちと共にありたい
- 世直しをしたい人は芝居ではなく宗教へ走ってしまう
- 豊かになった社会へ物申したい人の集まり
- 何処までも、世界の果てまでも外れてゆこうとする
- 自由に生きれば茨の道
- この国には何の期待もしていない
- このままいけば徴兵制度は必ず復活するだろう
- リセットできない、戦争へ向かうという現実
- なかったことにはできない原発事故
- 漂白する人々の群れ
- なぜ、野戦攻城をするのか
- 身元不確か(国家にしてみれば)の人たち
- 進みゆく世界の非対称 それが砕け散った結果がフクシマか
- 浮浪民 流浪の民 うかれ人 藝人 かぶきもの ごろつき 無頼漢
- 流砂のように日本列島を廻る
- 等身大の痛みを分かち合うために芝居を打つのではない
- 追放された人々の滞留する場所 寄せ場
- 国家にまつろわない人たち
- 地図も戸籍も無い町
- 辺境から中心へと人々は流れ、この国のたそがれを迎えた
- ほの暗くなる国
- 物に溢れた豊かさの崩壊としてのフクシマ
- 心が弱くてどこが悪い
- 国家という暗く重い空気
- 背景を隠して蠢く町
- 表現の自由というこの国の立て前
- 実際は、ものを言うと殺される
- 表現をすると殺される
- 命をかけなければ表現の意味は無い
- 「誰一人傷つけない文章」という矛盾
- 「あたしは芝居をやりたいのに、どうして機動隊と戦わなくちゃいけないの?」
- 舞台の上でおこなわれることはすべてフィクションなのか?
- どこにも所属していない人が伝えるものが藝能である それは小説というカタチをとっていても、文学ではない 文学としては認められなかった
- 宿神 うしろどの神
- 誰の心にも天皇制が宿っている
- それは「何かの為に何かを犠牲にする」という信念
- 目に見えないもの、カタチの無いものが押しかかってくる
- それと戦う 勝ったか負けたかわからない戦いである それは いわば自分との戦いである
- 集客や評価を求めているわけではない
- 藝能は天皇制よりも古にうまれ、そうしてこの先も続いてゆく
- 自分は主人公ではなく、隅に居る存在である
- 世界の縁を歩む
- 世界は滅びるのか?
- 滅びても構わないが、そのあとで何処で酒を呑もうか
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