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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

桃山邑 TALK EVENT -世界劇場としての、藝能・寄せ場・天皇制-

水族館劇場という名の劇団がある。おれはその劇団のことを立ち呑み屋でたまたま知った。しばらく活動を止めていたその劇団は、フクシマの後、ひっそりと、再び動き出した。

何トンもの水が一斉に流れ落ちる。その派手な舞台で水族館劇場は知られている。演出の桃山邑が鉄筋の職人だからこそ出来る技。俳優陣たちも、幕の裏では鳶職の恰好をして舞台をつくっている。その派手な演出は水族館劇場のわかりやすい目玉ではあるけれど、それだけではない、「何か」がある。

水族館劇場の本が羽鳥書店から出版されている。

水族館劇場のほうへ

水族館劇場のほうへ

五八〇〇円のこの分厚い本のなかに、「何か」が犇めいている。

先に出てきた、劇団のことを知った立ち呑み屋というのは、鎌倉のヒグラシ文庫である。ここの店主は実は、水族館劇場のプロデューサーでもある。

おれはただの酔客だが、縁あって、演出の桃山さんと同じ釜の飯を食って酒を呑む機会に巡り会えた。

表現を志す若輩として、どんな想いで彼が芝居を打とうとしているのか知りたいと思った。

銀座のクオリア・ジャンクションで、桃山さんが講演をするという。いそいそと聴きにいく。

なんで、芝居なんかやりたいの? 大変なだけで、実入りの無いことと思うけど? そういう小娘の疑問を抱えて、話を聴く。

「いい芝居」を打つつもりはないと、彼は言った。集客、評価。そういったものをまったく求めていない訳ではないけれど、そのために芝居を打とうしているんじゃない。

取るに足らない者たち。負けていく者たち。漂泊する人々。身元不確か(それは国家からしてみれば、ということだけど)の者たち。浮浪民、流浪の民、うかれ人、かぶきもの、ごろつき、無頼漢(いわば藝人、と呼ばれている者たち)。故郷を失い、流砂のように日本列島を流れて廻る存在、追放された人々、国家にまつろわない人たち。

そういう人たちと共にありたい、と桃山さんは言う。

寄せ場、というものがある。幸せな、物質に恵まれた世界で生きてきたおれは、そういう世界が日本にあることを知らずに育った。山谷、寿町、鎌ヶ谷崎。そこで、命の灯をともし続ける人たちがいる。普通の暮らしをしている人たちとは、決して交わらない世界。地図も、戸籍も無い町。背景を隠して蠢く町。

それはある意味で、恩恵のようにも思う。今のおれにはとてもよくわかる。母親が死んだ後に、おれは故郷との何の接点も持つことはできない。最も血の近い父親は憎しみの象徴としてそこにあり、同様に血を分けた親族たちとも、おれは遠く隔たり姿を隠す。バックグラウンドを問われないというのは恩恵なのだ。

藝能は、遥かいにしへに生まれた。日本人は、温厚な農耕民族だ。人と人との繋がりをなによりも尊ぶ。そういう世界に、どうしても馴染めなかった人間が居る。かれらが、世界から外れて、何かを形作った。

うしろどの神と呼ばれる、黒い仮面をつけた翁よ。貴方は、何を見たくて人々を踊らせるのか。

日本は、破滅へ向かって、一歩一歩、新しい時を刻む。何も考えず死ぬことが何よりも尊いことだと、信じさせられる時がまたくるだろう。その時代にあって、世界の縁に立つ者立ちは密かに警鐘を叩いてみる。誰も聴かない。何処にも聞こえない。それでも、力一杯に叩かずにはいられない。

いつか、叩く人間が葬られるということはわかっていても。

世界が滅びたら......そうだね、どこで乾杯をしようか。