醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

なんでもない日記でも、更新されているとなんだかうれしい。

インターネットで更新されていく、誰かの日記を見ているのが好きだ。真剣に読み込むことはあまりないけれど、更新されているとほっとする。今日も世界のどこかで、その人が呼吸して、食べて、笑ったり泣いたりしている。

ブログを始めたのは大学生のときだった。ある日突然思い立って、おそるおそる登録した。世界中に自分の書いているものが発信されてしまうという恐怖、そしてぞくぞくするような快感(でも実際は、始めたばかりの学生のブログなんて、一日数人しか見ないものなのだけれど)。どっぷりとインターネットのなかにはまり、日がな一日記事を更新してみたり、CSSをいじくってみたりしていた。

顔の見えない不特定多数のひとに向けて書く文章は難しい。慣れないと、テンションを上げ過ぎてしまって失敗する。

久しぶりに、このブログに手を入れたついでに、過去のブログ記事をそのまま移してみた(それでも、ほんとに初期の初期の記事は、こちらには載せていない。あまりにセンチメンタル過ぎて恥ずかしくて、ある時全削除してしまったから)。ブログを書き始めたときに決めていたことは、毎日必ず更新することと、何かひとつ、本なり映画なりを紹介すること。他の人のブログを読み、うんうん唸り、トラックバックを送りまくったりして、毎日毎日、少なくても一時間はブログに向かっていた。好きなことをしていると時間はあっというまに過ぎていく。そのためにいくらでも時間を使える自由とは、なんと素敵なことだろう。

教育実習が始まり、就職活動が始まり、いつしかブログの更新ばかりに時間を使えなくなってしまった。社会人になってみたら、尚更。それでも書きたい欲求は止めどなく溢れ、twitterにすがってみる。短い文章を吐き出すだけでも、少し気持ちは落ち着いた。

おれの難点は、いくつもの仕事(というか、楽しみというか)を抱え過ぎることだ。そんなにキャパシティも体力も無いくせに。

二〇一二年の五月に母親が死んで、おれは自分自身もまた、いつか死ぬ存在であることを頭を殴られたように激しく思い知らされた。歳をとってから死ぬとも限らない。おれはおれの人生を生きなくてはならない。なりゆきで始めたヒグラシ文庫の広報を降り、おれはもう一度ブログへ向かう。毎日毎日、何か同じことを続けるというのは、その積み重ねが物凄い力になる。例えば、呑み仲間の画家・亀山和明さんのスケッチだとか。おれは地味に毎日、くだらなかろうとなんだろうと日記を更新してみることにした。その頃の日記(二〇一二年八月〜二〇一三年三月)を読み返してみると、意外と我ながら面白い。いや、どうでもいいことしか書いてはいないのだけれど。

更新が途絶えがちになった二月頃からは随分忙しくなった。バンドのリハーサル、ライブ、美学の勤務。それは刺激的な日々ではあったけれど、おれはどうしても、そちらにエネルギーを使い過ぎてしまう。最後のライブを終えておれはもう一度、書くことへ向き合う。