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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 ウェディングドレス

小説

ウェディングドレスをどうしてみんな着たがるのか疑問だった。

純白のドレスを着て「あなたの色に染まります」なんて、冗談でも言えるわけない。一日限りのヒロインになるつもりも毛頭ない。おれはいつでもおれ自身の極彩色を放ち、常に喝采の真ん中に立ちたいのだ。
「花嫁は、結婚式が終わったら花が落ちて、ただの嫁になるのさ」

おれがまだ小学生だった頃、冗談めかしてそう言った母の声が耳にこびりついている。

医大を卒業した友人が、春の僅かなモラトリアムをぬって江ノ島に遊びに来た。来月から大学病院に勤めるという彼女は、学生の頃からさばさばした男前で、一緒にいても女子といる気がしなくて楽だった。

彼女には超有名企業に勤めるやり手サラリーマンの恋人がいたけれど、「たまにはつまみ食いや別腹も必要だよね」なんて言ってその言葉どおりに華麗なアバンチュールを謳歌していた。でもその日は、展望台からハーバーを見下ろして「そろそろ身綺麗になろうかと思って」なんて呟いた。
「結婚すんの?」
「そうだねえ」

遊歩道の脇にはチューリップなんかが植わっていて、それがあんまりにも彼女に似合わなくてちぐはぐした眺めだった。

ひなたぼっこをする野良猫を撫でくり回しつつ階段を上り、頂上に着いたら息が切れた。手近な茶店に上がり、彼女はカタチの良いすらりとした足を畳の上に伸ばした。ほうじ茶を啜りながら、卒業式の写真を見せてくれる。袴姿の式の様子と、カクテルドレスに着替えた二次会の様子を。
「二次会なんてあるんだ」
「そう、化粧直し。医大の常識」

お金持ちそうな男女が華やかな衣装を着て、高層ホテルのバーでグラスを片手に微笑んでいる。
「おれなんて、式にさえ出なかった。両親が上京してきたから、スーツくらい着て講堂前で写真を撮ったけど」

へえ、と言って、彼女はにっこり笑った。
「ねえ、ウェディングドレスとか、着たいと思うの」
「うーん」

彼女の向こうに水平線が横たわっている。光を眩しく跳ね返している小さな点、あれは漁船だろうか。
「母親の為に、着なくちゃ、とは、思ってる」
「そういうもん?」
「まあ、そういう母親だから。娘は無事医大を卒業しました、嫁げるほど立派に育ちました。どうぞみなさん見てください……そういうもんだよ」
「なるほど、そういう発想は無かった」

店を出て、細い山道のような階段を下ると岩場に出た。磯遊びの為の網とバケツがレンタル用に置いてあった。波は高く、足元を白く泡立てて濡らしては引いていく。
「あんた、招待状送っても式には来ないでしょ」

彼女は両腕を拡げてバランスを取りながら、岩場を歩いていく。
「どうして」
「そういうの、嫌いだろうから」

岩を削り、渦をまくその波はあまりにも勢いよく打ち寄せてくるので、おれは彼女がその波にのまれてしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。
「危ないよ」
「危ないことくらい、しないとね」

水色のワンピースを着た彼女の背に飛沫が飛び交う。それはレースの飾りの付いた花嫁衣装に見えなくもなかった。(文:野原海明)