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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 亡い人の夢

震災の翌年。脳卒中で搬送された母は意識の戻らないまま集中治療室で二週間を過ごし、そして死んだ。亡くなる日の明け方に見た夢は、いつものように紺絣のもんぺをはき藍染のスカーフを頭に巻いた母が、まるで誰かの見舞いに来たかのようにすたすたと病院の窓口へ行き、自分で退院手続きを済ませている夢だった。なんでも自分でさっさと済ます。たいへん母らしいと思った。

死んだ直後にも、夢を見た。

どうにか意識が戻って、ほぼ寝たきりの状態で一時退院してきた母の、ぼさぼさな髪と青い顔。目覚めて、ああ、あれは母の魂ではない、と確信する。それは、どうにか意識が戻って欲しい、障害が残っても生き延びて欲しいというおれの願望と、緊急手術後の痛々しい母の姿の記憶とが入り混じった残像だ。母その人じゃない。

まるでブッダを悩ませた悪魔のように、母の姿を借りた何かが、弱ったおれの夢に幾度となく現れた。でもそれが本来の母ではないことを、いつでもおれは見抜くことができる。母という人のエネルギーは、あまりにも強いのですぐにわかるのだ。

二年が経とうとする今では、母はあの世の近況報告をするように、忘れた頃に夢に現れる。生きていた頃に電話を掛けてきたペースとあまり変わらない。親と子の距離感なんてそんなくらいでちょうどいい。多摩川の向こうだろうが、三途の川の向こうであろうが、あまり変わらない。あの世にいる母は随分と楽しそうである。「あの世の春」ってやつか。