醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

書く行為はほとんど自慰である。

この四月から五月にかけて新しい仕事をふたつ始めて、休みなしフル稼働でやってきたので、今日はちょっと一息をいれることにした。これからおれの休みは「毎週末に定期的に与えられるもの」ではなく、「自分でいつ休むか決めるもの」に変わる。

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昨日の朝は身体にどっしりと披露が溜まっているように感じた(でもストレスからくるどうしようもない感じではなく、単に肉体労働からくる清々しい疲れ)ので、今日は昼まで寝ていようと思っていたけれど、なんだか目が覚めてしまった。だってこんなにいいお天気。長湯をして布団を干して、洗濯物をして。そうしているうちにジロウが起きてきて、昼ごはんをつくってくれる。家にほとんど食材が無かったので(呑み歩いてばかりで買い物を怠っていた)、いただいた鮭と人参で炊き込みご飯みたいなチャーハンと、具が煮干と昆布だけというほとんど出汁のカスでしょ、みたいな味噌汁。すごくよくわからない献立だけれど、並んで食べるのは楽しいのでそれでいいのだ。

一月からは、ライターの仕事も本格的に始めた。たとえ商業宣伝文句であろうと、価値があるといわれてお金を振り込んでもらうのはとても嬉しい。でも「他人のウケ」ばかりをねらって書いている文章は、だんだんみんな同じ言い回しになってくる。推敲も、アクセス数も、目を引く見出しも、なにもいらないところで、文法なんかめちゃくちゃで文章を書きたい、ただだらだら書いていたい。そんな衝動にかられる。なので、お蔵入りしていた古いブログをひっぱりだして、どうでもいいことを書き連ねる場とする。

「そんなに毎日買いて、よくネタがつきないね」と呑み屋で言われることもよくある。「面白いネタ」は尽きるかもしれないが、どうでもいいことならいくらでも書ける。いや、書いていないとおれは呼吸困難のようになってしまう。

「価値ある文章」を書こうとし過ぎて、おれの言い回しはどんどん固くなっていた。もっと気楽に、肩の力を抜いて。評価や批判なんてしらない、書く行為は自慰でいいのだ。