読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 ざまみ(一)

待ち合わせの辺鄙な港で、あたしと同じように大きな荷物を抱えて立っていた人を、初めは留年を続けたうらぶれた学生かと思ったのだ。よく日に焼けた腕が薄汚れたティーシャツからのびている。無精ひげに長い髪。歳を訊いたら、三十九だとかいうから驚いた。

夏の間、座間味の民宿でバイトをすることにした。あたしは受験生で、おまけに浪人もしていたけれど、受験だけの一年なんて味気ないじゃないか。七月から八月の間のほんの息抜き。ザックには最低限の着替えのほかに、単語帳や問題集を詰め込んであった。

彼は無邪気に笑い転げる。大型犬みたいに。一緒に歩いていると大変だ。面白いものをみつけると全力で駆け出していく。はしゃぐ彼に呆れながら、そのくせ可愛くてしかたないと、あたしは思っている。おかしいな、自分よりも二十才も年上の、おじさんのはずなのだけれどね。

目が覚めたらお客さんの朝食の準備をして、客室を掃除して。お客さんたちを車に乗せて浜へ行く彼を見送る。あんまり蒸し暑いくてやる気はでないけれど、ぱらぱらと単語帳をめくる。

どうやって食べてるの? と訊いてみた。

繁忙期だけ、予備校の先生をしている、と言った。それ以外はこうして、単発のバイトをして食いつないでいる。

結婚とか、しないの?

しようと思ったこともあったけどねぇ。

f:id:mia-nohara:20170507200751j:plain

宿のバイトは入れ替わり立ち替わる。一夏の出逢い、とかいう宣伝文句に誘われて、けばけばした女子大生もやってくる。濃いメイクが座間味の日差しに浮いている。宿の屋上で、つまらなそうに煙草をふかす。タオルを干していた彼に「吸う?」とすすめる。グロスのついた吸いさしだよ。
「ああ、ありがとう」

なんでもないことのように、彼はそれを受け取って煙を吐く。
「煙草、吸うんだっけ」

コンクリートの上に寝っ転がったまま、あたしは言う。
「いや、でも昔は。つきあってた彼女が吸ってたから、どんなものかと思って吸ってみたことはあったよ」

教え子から、彼の携帯に頻繁にメールが届く。得意気にあたしに見せる。センセイ、センセイと甘えている、中学生の絵文字だらけのメール。
「ふーん、こういうのもらうと、うれしいんだ」
「ああ、だけど、子供だからね、別にね」

そうだよね、あたしも子供だよね。あなたより、中学生の彼女たちの方が歳が近いんだから。

夏は、すぐに終わる。

あたしは一足先に内地へ帰った。

好きだと口にすることは簡単だ。ちょうどそのタイミングで他に女のいなかった彼にとっては、都合のいい遊び相手になれただろう。でもあたしは受験生だったから、レンアイにうつつを抜かしている暇はなかったのだ。


けばけばした当時の女子大生とは、電話番号を交換していた。晴れて大学受験に合格した年の夏に、なんとなく懐かしくなって電話をした。
『え、あんた、あの男のこと好きだったの? 趣味悪』
「しょうがないじゃん、目新しいものに惹かれるんだよ」
どうにか希望の大学に受かった。入学説明会でたまたま隣り合わせた、ひとつ年下の現役入学の彼と付き合い始めていた。

キャンパスに蝉の声が響き渡る。講義が終わって、サークル棟へ向かう。携帯電話が振動する。知らない番号が表示されている。
「もしもし?」
『ああ、ひさしぶり』

その声は、すぐにあたしを座間味へ連れ戻す。青く澄み切った海、荒々しいばかりの緑。
「どうして?」
『電話番号、あいつから訊いたよ。いまちょうど近くに来ている』
「え?」
『すぐに車をつけるから、そのままそこにいて』

交差点の向こうからワゴン車がやってきてあたしの隣で停まる。運転席には懐かしい彼の顔がある。無精ひげを剃って、髪をあげた彼が。
「乗って」
「え?」
「信号変わるから、早く」

助手席に乗り込む。襟のついたシャツは、あまり似合わないなと思いながら、彼を眺める。
「変?」
「うん、変」
「就職したよ」
「就職?」
「そう。生命保険の営業」

似合わないね、と言うのと同時に、「迎えに来たんだ」と言われた。