醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

ライターの顔

十二月廿七日 晴、もつたいないほどの安息所だ、この部屋は。
ハガキ四十枚、封書六つ、それを書くだけで、昨日と今日とが過ぎてしまつた、それでよいのか、許していたゞきませう。

種田山頭火 行乞記 (一)

ライターを始めた最初の頃の仕事は、あらゆる品物の紹介文をフォーマットにそってひたすら書くという千本ノックみたいな仕事だった。なるべく個性が出ないように、誰が書いても同じになるような。それこそ人工頭脳でも書けそうな。

言い回しのバリエーションとか、なんがなんでも書く忍耐は身についたが、もしかしておれはその仕事で自分の文体を失ったのだろうか。

「野原さんの文章って、読みやすいけど文体が無いよね」

意外な感想だと思ったけど、そうなのかもしれない。以前は、もっとへんちくりんな読みにくい文章を書いていた気がする。一本300円で書いたデビュー記事は、おれじゃない人が書いたみたいに赤まみれになって掲載された。

名前は載らない新しいWeb媒体の仕事のとき、「全体のトーンに合わせたいので他の方の原稿を見せてもらえますか」と担当編集者にお願いをしたら、「どうせ真似して書くんでしょ。あなたの個性がなくなるから見せたくない」といった内容の返事が返ってきて驚いた。いや、おれだってそりゃあ、個性をばんばんに主張して書きたいさ。他人の真似なんか、腐ってもするかってんだ。久しぶりに熱く怒りが込み上げてきて、なんのかんの言って、やっぱりおれはライターという仕事に誇りを持っているみたいだ、と気づいた。

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インタビュー記事を書いていると、どのくらい自分を出していいのか悩む。あえておれに依頼してくださっているのだから、編集者はある程度、おれらしさを期待してくれているのだろう。でも読者は? インタビュアーが見える記事を読みたいと思うだろうか。それもおれの腕と、今後の活躍次第だろうか。

ku:nel』という雑誌が好きだった。何巻も読むうちに、胸に残る記事の書き手が皆同じ人であることに気づく。鈴木るみこさんだ。書き手の顔がほんの一瞬、見えるときがある。その眼差しや。るみこさんが拾い上げてくるものに惹かれて、おれは『ku:nel』を買い続けていた。物書きになるなら、そんなふうな仕事がしたいと思っていた。まさかその10年後、同じ呑み屋で並んで金宮焼酎を呑みながらスジカレーを食べることになるとは。