醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔小説〕 鏡台

 一月七日 曇、后晴、寒くなつた、冬らしくなつた(昨日から小寒入だ)
銭がなくなつた、餅もなくなつたし米もなくなつた(銭は精確にいへば、まだ十三銭残つてゐるが)。
朝は腹も空いてゐないからお茶を飲んですます、午後は屑うどんを少しばかり買つて食べる、夜は密柑の残つたのを食べる、お茶がやつぱり一等うまい。

種田山頭火 行乞記 三八九日記

母の鏡台はとても古い。どこで手に入れたのか聞いたことはない。最初の結婚の時の嫁入り道具だったのかもしれない(母はバツイチだった)。観音開きの三面鏡、椅子も組み込まれていたが、母がそこで化粧をしている姿を見たことはない。
小さい頃、その三面鏡の観音開きを触って遊んでいたら、なぜだか母に叱られた。
「遊ぶのはいいけど、鏡を閉めるのは私が死んだ後にしなさい。それまでは絶対に、閉めてはだめ」
滅多に叱ることのない母が真剣な顔で言うので、よくわからないその言いつけを守った。

三面鏡の内側を覗き込む。自分の姿がいくつも見える。その何番目かに映る自分は(44番目とか、そういう数字だった)、こちら側の自分とは関係ない表情をしているらしい。そんな怪談を何かの本で読んだ。おれは鏡の奥の奥を覗き込み、自分であって自分でない者の姿を探して遊んだ。

やがておれも年頃になり、母が使わないのをいいことにその鏡台で髪を結うようになった。母に叱られた日のことも、鏡の奥を覗き込んで遊んだ日のことも思い出すことはなく、ただ普通の便利な三面鏡としてそれはあった。

実家を出て時は経ち、おれが二十七の年に母はあっけなく脳卒中で死んだ。喪服など持っていなかったから、母のタンスから黒いワンピースを探し出して着た。

慌ただしく葬儀が終わる。母の喪服を脱ごうとしたとき、ふと三面鏡が目に留まる。くたびれきったおれの青白い顔が映っている。母に叱られた日のことを思い出した。

観音開きに手を掛ける。きいきいと音が立つ。おれはゆっくりと、三面鏡を閉じた。装飾が施されたそれは、閉じてみると棺桶のように見えた。浮遊していた母の名残が、すっと吸い込まれて消える。おそらくもう二度と、この鏡台が開くことはないのだろう。鏡台が最後に写したのは、母の喪服を着たおれの姿だった。