〔日記〕ギアチェンジ
- 落葉が鳴るだらう
- 足音を待つてゐる
- 山頭火
十月二十七日にブログを再開してから、またしばらく間が空いてしまった。水族館劇場の三軒茶屋での奉納芝居も終わり、徐々に日常業務へと生活が戻っていく中で、自分の中で何かが壊れていることに気づく。壊れたのは精神ではなくて、荒れ狂う精神を制御していた檻のほうだったのかもしれない。まっとうな仕事人間を演じられなくなるのではないか? という恐れ。いや、これも芝居だと思って、また仕事をする自分を演じればいいのだ、と言い聞かせるが、どこか心がふわふわと彷徨い出てしまう。
一四〇文字しか書けないTwitterならまだいい。長い文章を連ねれば、鬱々としたことばかりを書き続けそうだ。ブログの更新をひとまずは止め、Twitterでセーブをしつつ書く。しかし結局は、抑えつけたものは隠そうとしても滲み出てしまうのだ。暗い呻きなんて晒してもどうかと思っていたが、同じ夜道を歩く人に何かの慰めになれば、と思い、また始めてみる。暗い写真ばかりしか撮れない。同じ所をぐるぐると廻っている。
寂しがるのではないが、親しい友達といつしよに、湯豆腐ででもしんみり一杯やりたいなあと思ふ。
種田山頭火 其中日記 (七)
街へ出たついでに、石油代を掛にして貰つて、その金で、濁酒一杯ひつかけて例の虫をなぐさめ、うどん玉を買うて戻る、それが昼飯。
いつぞや見つけておいた路傍の水仙を採つてくる、まだ蕾はかたいけれどお正月までには開くだらう。
水仙は尊い花である。
忙しさの中に身を置いていると、日々は充実しているようで心はすり減っていくのだろう。こういう状態には以前にも何度かなった。原因はだいたい同じ。忙しさにかまけて、「自分」を生きられなくなったときだ。
「あなたみたいな繊細な人、始めて会ったわ(ほんとうに付き合いづらいわね)」
十代のときに言われた言葉。カッコにくくられた本心のほうがビシビシと伝わってきた。でも、おれなんて鈍感なほうだ。もっと繊細なやつはいくらでもいるよ。
「鬱って、移りますよねー。ウツだけにー」
とか適当なことを言い合って、まあそれでも、生きていられるだけでもよしとしようかと、慰め合えればそれでいいような気がする。
おそらくおれは、ギアチェンジをしようとしているのだろう。うっかりニュートラルに入ってしまって、アクセルを踏んでもスカスカとして前に進まない。そんなときは気を取り直して、一速からやり直せばいいのだ。