醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

芝居は毒薬、心に潜む真実を解き明かすものだもの。#さすらい姉妹 #水族館劇場

f:id:mia-nohara:20180103065600j:plain

  • 雪もよひ、
  • 飯が焦げついた
  • 山頭火

2017年は最もブログを多く書いた年になった。始めたばかりだった2006年よりも多い。3月に「毎日日記として更新し続けよう」と決めたのが思いのほか長く続いたのだ。

とても、迷っていた。仕事は順調だし毎日は面白い。でも、このままではいけないと思っていた。どう生きていくのか? それを繰り返す日記の中で求めようとしていたのかもしれない。

mia.hateblo.jp

母校で講演をして欲しいと頼まれた。中学一年生に、働いている先輩のリアルな声を届けて欲しいのだという。「図書館でお金をもらう仕事をしながら、物を書いて生きていく」「図書館に関わるなら、最先端の情報でいつも磨かれていたい」「一つの場所にとどまるのは退屈だから、日本中を渡り歩いて働きたい」。10代の頃の夢は、つまりみな現実になったわけだ。 最後の質問で、「では、今の野原さんの夢は?」と訊かれて返答に詰まった。

〔日記〕夢を白紙に戻したそののち - 醒メテ猶ヲ彷徨フ海

しばらくの間、夢をリセットしていた。書かなくても生きていけるんじゃないか。求められた仕事をしていて、それが面白いのであるならば。「今の夢は?」という問いには、「明確に目指しているものはないけれど、求められて、流れ流れてここまできたので、もう少し流されてみようと思います」と答えた。 今の仕事は面白い。しかしもし、働かなくても充分生きていけるだけのお金があったら、おれはこの仕事を続けるだろうか。風呂の中で何度も問い直していた。得意で、好きで、喜ばれる仕事。でもおれは、いつもどこかに冷めている自分を感じている。

〔日記〕夢を白紙に戻したそののち - 醒メテ猶ヲ彷徨フ海

流されるのならば、もっと大きく別な方向に流されてみてもいいのではないか。役者をやるのは一度限りのつもりだったが、気がつけば劇団員になる方向で話はするするとまとまっていく。何か障害があればすぐに思い留まろうと思っていたのに、あまりもあさりと、あっけなく。

そうしていざ飛び込んでみたら「流される」くらいでは留まらなかった。「芝居は毒薬」。それは『この丗のような夢』のピエロのセリフ。本当にその通りだ。私は根本から組み替えられてしまったのだ。もうもとの日々には戻らない。嵐のような舞台の上。もう無くしてしまったと思っていた「書きたい」という衝動がふつふつと湧いてきた。

それでも仕事と芝居と、両方を当然のようにやっていくものだと思っていた。「役員と役者なんて両立なんてできるの?」と問われる意味がよくわからなかった。両方続けることしか、私の選択肢にはなかったのだ。

問われて初めて、不安になった。

そしてそこからガラガラと土台が崩れるように、鬱が始まった。今まで当たり前のようにできていたことができなくなってしまった。メール画面を開く度に、頭の中が真っ白になるのだ。いけない。このままでは、役員と役者どころじゃない。仕事も芝居も何もかもできなくなってしまう。

苦味生さんから、方向転換の手紙が来た、苦味生さんの気持は解る(苦味生さんに私の気持が解るやうに)、お互に、生きる上に於て、真面目であるならば、人間と人間とのまじはりをつゞけてゆける、めい/\嘘のない道を辿りませう、といふ意味の返事を出しておいた。

種田山頭火 行乞記 三八九日記

何よりも自信があり、やりたかったはずの執筆の仕事も、遅々として進まない。書くことは決まっているはずなのに、パソコンを開く度に今度は目の前が真っ暗になる。

今の仕事を始めてから3年。年末年始に合わせて、一番長いお休みをいただくことになった。そしてちょうどその間に、さすらい姉妹の寄場興行がある。稽古場まで電車を乗り継いで片道3時間。もうホームに立つのさえ恐かったのだけれど、倍の6時間くらいかけてリハビリのように通った。芝居の中にダンスがあったことが幸いだった。身体を動かして汗をかいていると、少しずつ正常な自分が戻ってくるような気がした。

いや、狂気のほうだろうか……。

水族館劇場 ニュースさすらい姉妹寄せ場〜三重ツアー大団円!|水族館劇場 ニュース

時は戦後。私の役はパンパン崩れのジャズシンガー、桜子。10月の太子堂奉納芝居から、新たに付け足された場面があった。ほんの一瞬だけこぼれ出る、怒りにも似た苦悩。それを瞬時に演じられる女優になるには、まだまだ時間がかかるだろう。

f:id:mia-nohara:20180114163148j:plain
桜子を演じる野原海明(左)と、上野の男娼・トキヲを演じる秋浜立(右)。(撮影:長嶋淳)

本番前の全日体制が始まると、鬱々としている暇もなくなった。ジロウ(ダンナ)が代役を務めることになって、不慣れな現場で支えてくれていたのも助けだった。まさにドサ回りそのものに、役者たちと舞台セットをぎゅうぎゅうに詰め込んだワゴンは三重県芸濃町を目指す。なにかの啓示のように、行く道の先を美しい景色が彩った。雪をかぶった富士山と満月。海から昇る朝日。私はまだ迷っているけれど、きっとこれで間違ってはいないのだろう。

三重公演まで走り抜けてみると、骨の髄まで染み込むような寒さにすっかり風邪をひいてしまった。しかしその恐ろしく寒い路上が、観客たちの生きる場なのだ。

しばらく寝込み、布団の中も飽きた頃、それではとおもむろに小説を書き始めようとしたら、また鬱が顔をもたげてきた。何もかも準備がそろって後は書くだけなのだけれど。自分は何を求めているのだろうかと書き出してみると、「あたたかい部屋で、のんびりとただ漫画でも読んでいたい」というのが願望の最初のほうにやってきた。私は疲れているのだな。

私の足を止めようとする鬱は、きっと防御本能なのだろう。このまま突っ走ってしまったら、安全で安定した場所を飛び出してしまうから、精神のスイッチを強制シャットダウンしようとしてくるのだ。そんな自分の一部分に言い聞かす。大丈夫、私はいつでもあたたかく安全な場所に戻ってこられるのだし、そうでない場所に飛び出していくからこそ、元の港を有難く思えるのだから。

長い休みが明けようとしている。私はもとのように仕事ができるんだろうか? 「もとのように」は、もうできないかもしれない。それでも「これまで以上の何か」は、私の中に生き始めているような気がするのだ。