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お金は労働の対価ではない!? 〔書評〕 心屋仁之助『一生お金に困らない生き方』

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お金は、誰か他人を喜ばせた結果、もらえる報酬なのだと思っていた。でも、どうやら違うらしい。

 お金は労働の「対価」ではありません。
 お客さんを喜ばせた数でもないし、商品の価値やサービスの質でもありません。
 がんばったごほうびでも、高いサービスを提供した見返りでもありません。*1

ええっ、だったら、お金ってなんなの?

収入には「存在給」と「歩合給」が存在する

本書では、収入を「存在給」と「歩合給」に分けて説明している。

「存在給」とは、まったく働かず、社会の役にも立たず、寝たきりだったり、人に迷惑をかけていたりする場合でも、自分自身が「もらってもよい」と思っているお金のこと。

「歩合給」は、がんばってもらえるお金のこと。

自分の存在価値を自分で認められない人、つまり、自分の「存在給」を低く見積もっている人は、がんばってがんばって、がんばらないとお金は稼げないと思っている。

 結局、お金が労働や、人を喜ばせたり、役に立ったことの対価だと思っている限り、働いて、働いて、働いて、お金を増やそうとします。
 労働の対価=歩合給です。お金=労働の対価=歩合給だとすると、心と体を壊してまで働いて、お金を得ようとします。だって、そうしないとお金は入ってこないと思い込んでいるのだから。
 でも、お金が労働の対価や、自分が与えた価値に対する見返りではなく、何もしない、何も与えない、何も交換しない自分が、そんな自分のことをどれだけ肯定して、自分の価値を受け取っているのかという、そのバロメーターだと思えば、お金に対する「前提」がガラリと変わります。*2

「働かざる者食うべからず」という思い込みをやめてみる

自分自身を顧みる。人生で最もハードに過酷に働き詰めた去年は、社会人になってから最も年収の低い一年になってしまった。時給で働いていたときよりも、生き方を変えようとして週4日勤務に切り替えたときよりも低いなんて。がんばらないと稼げないと思って、がんばってがんばってがんばり抜いたのに……。

その結果、心も体も壊し、仕事を辞めた。「また働かなくちゃ食べていけない」と不安になっていた矢先に、この本に出会った。

「働かざる者食うべからず」という思い込みを手放そう。ただ生きているだけで、豊かでいられるんだ。見えなくても吸える、限りなくある空気のように、お金も見えなくても満ちあふれているんだ。

そう自分に言い聞かせて何もせずごろごろとしていたら、思いもよらないところからお金が入ってくるようになった。

すごい……。

それでも、ときどき恐くなる。この豊かさには限りがあるのじゃないか? やっぱり汗水垂らしてがんばらないと食えなくなるんじゃないか?

そんなとき、もう一度この本を開いてみる。

 まだ「収入」が増えなかったら、まだ自分が自分の「存在」を低く見ているということがわかる「だけ」のことなのです。*3

まだまだ、修行の途中である。

*1:心屋 仁之助. 一生お金に困らない生き方 (Kindle の位置No.387-389). Kindle 版.

*2:同上、Kindle の位置No.360-365

*3:同上、Kindle の位置No.429-430