醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

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遊行かぶきの金字塔「一遍聖絵」を観に行く[神奈川県藤沢市]

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鎌倉の呑み友達、青江薫さんが遊行かぶき「一遍聖絵」に主演として出演するというので、藤沢市湘南台文化センターに観劇に行く。

藤沢の文化を掘り起こす演劇集団「遊行かぶき」

遊行かぶきは、1996年(平成8年)に神奈川県藤沢市で自然発生的に誕生した演劇集団だ。藤沢の文化の古層を掘り起こし、その地のアイデンティティを再発見しようとする地元住民による試みである。

一遍上人の生涯を描いた中世絵巻「一遍聖絵」(いっぺんひじりえ)を題材とするこの芝居は、2002年10月12日、13日、14日の3日間、時宗の総本山である遊行寺の本堂で初演されている。2019年3月8日、9日、10日に開演された今回の芝居は、キャストを変えた17年ぶりの再演だ。




なぜ一遍上人は、還俗後に再び出家したのか?

一遍上人は、延応元年(1239年)に伊予(愛媛県松山市)の豪族、河野七郎通広の次男として生まれた。10歳で母親を亡くした折、父の命により仏門に入る。13歳から太宰府で浄土宗の修行を積んでいたが、25歳で父親も亡くし、家を継ぐために還俗して故郷へ戻る。

半僧半俗の暮らしは平和には続かなかった。一遍は、親類間の争いがもとで命を狙われた。この事件がきっかけとなり、一遍は33歳の春、再び家を捨てて仏門に戻る。争いの原因は、史実では伝わっていない。

(さて、ここから先は物語の筋に触れていくので、先入観無くまずは芝居を、または脚本を楽しみたいという方は、観劇後、完読後にお読み下さることをお勧めします)

女子供を連れた出家遁世の旅

一遍は諸国放浪の旅路に、超一(ちょういち)、超二(ちょうに)という女人を伴っていた。出家遁世の旅にまで伴っていたこの女人を、白石征氏の脚本では一遍の愛した女として描いている。

太宰府での修行時代、若き一遍は愛に囚われ、超一との間に子どもをもうける。しかし妻子を連れて故郷に戻った一遍は、家を継ぐ名目のため、もうひとりの女を正妻として娶ってしまう。

聖戒「お師匠さまは、頭に傷を受けながらも、相手の刀を取り上げたので助かったのです。一族に連なりながら、あの人たちこそ自業自得です」
一遍「しかし、いい悪いを言う前に、その因果のもとを絶たねばならぬのだ。それこそが、わしの妄執、超一へのあさましい執着心だったのだ。
 それが超一を動かし、まわりの男たちの欲望に火をつけてしまったのだ。
 わしはあの夜、傷にうなされながら、すべてを悟ったのだ。筑紫で愛した超一を手放すことなく、伊予で正室を迎えたことの愚かさ、己れの業の底知れぬ恐ろしさをな。
 毒蛇のように、二人の女を苛み苦しめていたのだ」 *1

出て行く家に、超一と娘の超二を置いてはいけない。ふしだらな道行きと指さされながらも、一遍は女人を伴い出家遁世の旅に出る。

仏道では女人は救われないとされている。しかし必ずや、女であっても救われるはずだ。その答えを求める旅立ちだった。

芝居の中で、一遍と共に念仏札を配る算賦(ふさん)の旅をする尼僧たちは、まるで女子高生のように無邪気で可愛らしい。ひらひらと透ける僧衣の端。一人だけ紫の僧衣を纏った出家後の超一房は、時にはっとするほど妖艶に見える。




最期まで残るのは女人への執着か

一遍の旅の終着は、播磨国(兵庫県)書写山の円教寺だ。この寺の本尊にして秘仏、桜の生木でつくられた如意輪観音を拝むことが一遍の悲願だった。円教寺は女人往生の聖地である。同じく女人往生の聖地として、中将姫伝説の伝わる大和国(奈良県)当麻寺にも一遍は立ち寄っている。

如意輪観音との対面を許された一遍は、独り紙燭を手に暗闇の本堂を歩く。本尊に手を合わせる一遍の前に、伝説の中将姫が如意輪観音の出で立ちで現れる。ひらり、ひらりと蝶のように舞う中将姫の面影は、よく見れば超一房、その人だ。

脚本では、一遍は感無量の涙を流して果てる。けれど、芝居で見たそのラストは、脚本の印象とはかなり異なる。

見開かれた一遍の瞳。一瞬たりとも見逃すまいとするように。姫をつかまえようとして伸ばされた手。でも届かない。かき消える幻。それは一遍の中に最期まで残る女人への執着を写し取ったように見えた。全てを捨て「捨て聖」と呼ばれたその人の中に、死の瞬間まで残る生々しい人間らしさ。

一遍を演じる青江さんのラストシーンのあの眼差し、忘れられない。


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次回も楽しみにしています!

初めて観た青江さんの芝居は、2012年の「安倍晴明誕生秘話 きつね葛の葉」だった。青江さんの役は清明の敵、道満。芝居の様子はYouTubeにもアップされている。

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説経節を挟みながら語られていくその芝居には、舞踏の要素も盛り込まれている。芝居はやっぱりその場で同じ空気を感じながら見るのが一番だけれど、じっくり見返せるのは嬉しい。

おつかれさまでした! 次回の芝居も楽しみにしています。

*1:白石征『遊行かぶき 一遍聖絵』ピラールプレス、2019.03、p.141