醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔日記〕足を知るって、そういうことか

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こん/\としてねむつた。

種田山頭火 其中日記 (八)

如月廿二日、曇りのち晴れ。

他人に合わせるのではなく、自分を優先させる。ひとりで、自分のペースで動くことの喜びを取り戻そう。

8時2分に起きる。風呂で『そうだ 魔法使いになろう!』を読む。

これまで、風呂に入るときにはお湯を少なめに張って半身浴をしていた。「体にもいいし、水も無駄遣いしなくてすむよね」と思っていたけれど、考えを改める。

湯船に浸かりながら、どぼどぼとお湯を注ぎ足す。あふれるまで。あふれてからも、しばしそのままに。ぷっかり浮かぶようにお湯につかりながら、水面の揺らぎを見ている。豊かさって、そういうことか、と肚に落ちる。「足を知る」なんて禅語では言うけれど、頭で「もう足りてるよね」と言い聞かせても仕方ない。ほんとうに豊かであることを実感すること。お湯があふれてこぼれ出るように、豊かさはとあふれることだ。

ひさしぶりにアビヤンガ(アーユルヴェーダのオイルマッサージ)をした。冬の間は、寒くてやる気にならなかったのだ。新調した綿100%の昔ながらの白いタオルでなで洗いをする。バスタオルも新調したくなった。ふかふかの、洗い立てのバスタオルを、贅沢に使いたい。入浴時間は1時間1分10秒だった。

昼は静雨庵でネギラーメン。となりに座ったおねえさんは一人で来ていて、Aセット(ラーメンとからあげ弁当)をするっと平らげていった。

スターバックス鎌倉御成店へ行って、頼まれていた原稿の最終修正。小説を書く。日記も書く。

GTDの週次レビューをする。思いたって、横浜へ出掛ける。一眼レフのカメラを使ってみたくなったのだ。ジロウがカメラに詳しいのはわかっていたけれど、一緒に行くと自分で選べなくなりそうで、まずは先入観なく、自分の目で見てみようと思った。

見たけれど、やっぱりよくわからなかった。よくわからないことがわかってよかったと思う。またジロウをつれて来よう。

ATAOで財布を新調しようと思っていたけれど、欲しかったデザインのものは見当たらない。雑貨屋でリフレクターのキーホルダーを買おうとも思っていたけれど、買おうと思っていたデザインのものもピンとこない。なんだか、何もかもちぐはぐである。

味珍へ。こちらも、いつものおにいさんでなく、若い衆だった。地酒二杯と胃、耳。常連さんが多そうだったけれど、特に会話をするでもなく、皆ちびちびとやっている。すいっと酒を喉に流しながら、ふと気づく。

仕事を辞めて、劇団も辞めてから、そのどちらの情報にもできるだけ触れないように、できるだけ遠くにいるようにしていた。思い出したときに自分が壊れていくのが恐ろしかったからだ。でも、今日この時点で、「もう大丈夫だ」と確信をする。もう、私は壊れない。かつて、家族よりももっと親しかった仲間たち。私はもう、その中に戻ることはないけれど、彼らとまた会うことはできる。自分を捧げることはできないけれど、応援することはできる。

すっとして明るい気持ちでATAOに戻り、店員のおねえさんに欲しかったデザインの財布の在庫を聞いてみる。ちょうど品切れとのこと。でもネットではまだ買えるみたい。それなら大丈夫だ、と安心する。

電車でYagisaya TVを聞きながら鎌倉に戻る。ヒグラシ文庫へ。今日はまゆちゃん。お客さんは、やたらと美しい独り呑み女子ばかり。

「常連のオジサンたちはなんでこういうときに来ないのかね。タイミング悪いよね」とまゆちゃんと言い合う。菊水冷酒、ワカメスープ。

釈迦へ移動する。一ノ蔵、鯛のお頭焼き出汁浸し。「料理をしない女」についての話で盛り上がる。「女は料理をして当たり前」「料理をするのが女の喜び」なんて考え方、まだあったんだなぁ。

Sさんはガンが見つかって、遺影のつもりでカメラマンの有高さんに撮影してもらった写真を、冗談半分でモデル事務所に送ってみたらしい。そうしたら、本当にオーデションに出ることが決まったんだそうだ。

「それって、遺影を撮ってイェーイ! ってやつだねー」とはじちゃんが言う。何はともあれ、ご本人も元気そうでよかった。

帰宅してちょっとストレッチ。ゲームに興じて、23時46分に寝る。