醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

D:更新のお知らせ

白濁(四十四)

「来週行く」「早く顔が見たい」 坂井から短いメールが届いていた。 ずっとほったらかしだったのに、こんなときにだけ何度も連絡してくる。 もう一度坂井に会うのは恐怖だった。はぐらかし続けてもいられない。 「ごめんなさい」「他に好きな人ができた」 同…

白濁(四十三)

毎日のように、どこかの飲み屋で待ち合わせては、わざと店を出る時間をずらし、終電まで私の部屋で性急に体を重ねて帰る。タケシさんは、いろんな店で「最近よく会うね」と常連たちに言われている。

白濁(四十二)

レスになっていたとしても、夫に不倫相手が出来ると夫婦の営みも復活するんだって聞いたことがある。旦那の何かが活性化されるのか、それに妻も触発されるのか。うっかり「やっぱりお前が一番だ」なんて睦言を吐いた日には目も当てられない。 「妻とはもうず…

白濁(四十一)

暗い夜の中に部屋の壁も窓も何もかも、境目という境目は全部消え去って、夜空の星が頭上にも体の下にも広がっている。そのなかにタケシさんの体の形をした熱があって、私の体の片面はその熱を感じ続けたまま、果てしない夜のなかに浮いているのだ。 そんなふ…

白濁(四十)

「いい部屋だね」 そう言うタケシさんは六畳のアパートには全然似合わない。一人暮らしを始めた娘の家に遊びに来たお父さんみたいだ。そのシャツの、ぽってりと出たビール腹ならぬホッピー腹に触れてみる。タケシさんはあごをひいて私を見下ろした。男性とし…

白濁(三十九)

誰かと並んで歩きたいと思っていた。なんでもない、くだらないことばかりをずっとしゃべって。どこに行こうとか、そういう行き先もあんまり決めずに。ただ隣にいるから、それでいいと。そういう相手が欲しかった。 もはや男性じゃなくてもいいのかもしれない…

白濁(三十八)

鮪の血合スモーク、自家製豆腐、ポテトサラダ、自家製塩辛……ポテトサラダを注文した。薄く切った、皮付きのリンゴが入っているやつ。それが嫌いという人もいるけれど、ポテトの中でときどきシャキシャキとする、その食感が私は好きだ。 「おねえさん、ほんと…

白濁(三十七)

「キンミヤ、赤玉ポートワイン、マッコリ」 「だろ? ちょっとおねえさん、省略して言ってごらんよ」 「えーと? キン……、え、やだあ」 「だからさあ、ちょっとあんまりだから、『夏の雪』って名前が付いたってわけよ」 男はアロハの背中を得意げに反らして…

白濁(三十六)

触れ合ったところから感じる体温に、体の表面が溶けて滲み出ていきそうな気がした。 それは、タケシさんに? それとも見知らぬ隣の男に? もうどっちだっていい気がした。 カウンターの奥で、アカリさんと呼ばれた女が身を乗り出す。 「マスター、アタシ『夏…

白濁(三十五)

「あっ。えっと、日本酒を……常温で」 「あいよ」 もっきりで出てきたグラスには、受け皿からもこぼれそうなくらいなみなみと酒が注がれていた。 「さっきも日本酒、結構呑んでましたよね? 知りませんよ、また倒れても」 タケシさんが言った。 「いいんです…

白濁(三十四)

家に帰る。 レジ袋の中から六本入りの缶ビールを取り出して、冷蔵庫の隙間に無理やり詰め込む。一本はそのまま、プルタブを開けた。台所の床にへたり込んだまま、ぬるいビールを喉に流す。 ふと、携帯を手に取る。 わかってはいたけれど、坂井からのメールは…

白濁(三十三)

さあ、あとは簡単だ。 何軒かハシゴを重ねて、最後に私の部屋へ行けばいい。 高橋とそうしたみたいに。 誰かに触れたくて仕方なかった。誰かの肩にしがみつきたい。こんな私の体にも、需要があるのだと教えて欲しい。

白濁(三十二)

タケシさんのつかんだグラスの中で氷が溶けて、カラン、と鳴った。 「誰か待ってるような顔して、ちょっと上見上げて、そのくせ次から次にがんがん呑んで。そのうち倒れるんじゃないかと思ったら本当に倒れるから、『しめた!』って」 「うわあ、最低」 鼻に…

白濁(三十一)

ほんの数軒となりなのに、いつも行く店とはまったく顔ぶれが違っていた。椅子のあるせいか、こちらは年配客が多い。呑みに来た、というよりは、夕飯を外に食べに来た、お年寄りのお一人様が目立った。バラエティを流しているテレビばかりがにぎやかだ。 「タ…

白濁(三十)

肩に手を置いてきたのは、タケシと呼ばれていた男だった。日曜なのに今日もスラックスをはいて、ネクタイまできっちり締めていた。 「それじゃ」 高橋はそう言うと、こちらの顔は見ずに軽く手を上げ、駅の方へ歩いて行った。 「もう酒、見たくなくなった? …

白濁(二十九)

あれから恥ずかしくて呑みに行けていないのだけれど、東急で買い物をするとどうしても店の前を通ってしまう。 日曜日。日暮れの早くなった商店街の煙草屋の前で一服しているのは高橋だった。私は買い物袋を下げて家に帰るところだった。 目が合ってしまう。

白濁(二十八)

そのまま押し入られたらどうしよう、と思っていた。男は背後に立っている。 おそるおそる振り向く。ちょうど外灯の逆光になり、男の表情はよく見えない。 「……ありがとうございました」 「こんなところにアパートがあったんですね。古い一軒家ばかりだと思っ…

白濁(二十七)

「それじゃあ、立てますか?」 「いえ、ほんとにいいんです。自分で帰れますから」 「もうタクシー呼んでますから」 男は私の腕を取って、自分の肩にひっかけた。 「立ちますよ。せえーのっ」 「あっ」 思ったより自分の足元はおぼつかなかった。 「ほんとう…

スケジュールもメールの通知も必要なくなった〔アメブロ〕

すごく苦手なことがある。 それは、スケジュールを入れることと、電話やメールに即レスすることだ。 苦手だからこそ、仕事でやらざるをえなかったときには必死でやっていたのだけれど、仕事を辞めた今となっては、どちらも全くやっていない。 Googleカレンダ…

白濁(二十六)

「大丈夫ですか。救急車、呼びます?」 カウンターに肘をついて、なんとか立っていたつもりだったけれど、気がつけば外の通路に寝かされていた。目の前に、瓶ビールの黄色いケースが転がっていた。その横に、少し埃を被った革靴。グレーのスラックスの裾。 …

白濁(二十五)

高橋修二からは、あれから一度も連絡はなかった。私からもメッセージをすることはない。ときどき、平凡な投稿がFacebookのタイムラインに流れてくる。ラーメンを食べただとか、娘を連れて海に行っただとか。 思い出したようにお互いの投稿に「いいね」ボタン…

文章が書けるだけがライターじゃない。ライターの技能をタイプ別に分けてみた〔note〕

ライターのスキルは、「文章が書ける」ことだけじゃないのだ。ひとくくりにまとめられてしまうことも多いけれど、実はいろんなタイプがある。ライターによって、それぞれ得意分野は違うはずだ。たとえば、こんなふうに。

白濁(二十四)

「愛し合う」だなんて言うけれど、そんなふうに感じたことは一度もない。 その手に触れられているとき、私は自分の体をただの物体のように思う。セックスドールと変わらない、女の体の形をした玩具。

酒場は唯一、何も演じる必要のない場所だった〔アメブロ〕

生活費を稼ぐために仕事をしていたとき、私は仕事人としての私を演じなければならなかった。 その仕事はずっと憧れていたもので、好きなことで生活費を稼げるならありがたいと思おうとしていたけれど、「野原海明」という人格のまま働くことはできなかった。

「自分にしか興味がない」自分は、ダメな人間なんだと思っていた〔アメブロ〕

図書館職員を辞めて公共施設のコンサルタントになったとき、親しい友人が 「あんた、自分にしか興味がないのに公共の仕事なんてできるんかいな」 と言った。 それは、すっごい図星で、返す言葉は何にもなかった。 公共サービスの仕事をしながらも、その言葉…

白濁(二十三)

「さんざん親にわがまま言ってきたし、そろそろお母さんの期待にこたえなきゃなって。 美里はそんなことを言っていた。さっぱりとした顔をしていた。 「なにそれ。それが結婚なの?」 「まあね。『もっとちゃんとして、まっとうに、きちんと』生きることにし…

白濁(二十二)

大学を卒業してから、同性の友達ができなくなった。それは、坂井とばかり会っていたからではあるけれど、それだけじゃないと思う。例えば、懐かしい男友達から連絡があれば、すぐさま東京にまでも出掛けて行くのだから。

そんな無責任は許されない?〔アメブロ〕

仕事と、芝居。 両方始めたからには両立させようともがいていた。 万が一両方はダメでも、どちらか片方だけは続けたいと。 でも結局ウツになって、仕事はできるような状態じゃなくなって、 かといって 芝居だけに集中しようとしても、 結局はあれもこれもと…

白濁(二十一)

高橋はシャワーを浴びようとはしなかった。全裸のまま、布団の上で仰向けに横たわっている。棒切れみたいな、痩せて色白の体。やけに太いすね毛がよく目立つ。その目は天井に向けられていた。私は、白い腹に手を伸ばした。すべすべして、少し冷たい。呼吸は…

白濁(二十)

三軒目にアパートの近くのエスニック料理屋で呑んでいたときには、だいぶ酔っ払っていたに違いない。ラム酒をロックでたらふく呑んだ。布袋さまのタグがついたラム酒、パイレート。 他のラムよりも少し高いけれど、ラムネのようなすっきりとした甘さ、さらさ…