醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

いくら情報を手に入れても自由にはなれない ~ 河島英五 「水瓶の唄」

ブログというものを初めて知ったのは昨年の夏だった。大学の授業で教授が自身のブログを紹介していた。「HPを作るほど手間が掛からないけれど、毎日更新しなきゃならんのが大変だ」という言葉が、何となく頭の隅に引っかかっていた。なんだかよくわからないけれど、HTMLに不慣れでも自分のページを、それも無料で作ることができるものが、流行っているらしい。

それならおれもやってみるか?と、酔って気が大きくなった勢いで始めたのがgoo blog。それ以後さまざまな方のブログを覗いてまわり、ブログってこういうものなのかとなんとなくわかってきたのはつい最近のこと。けれどもまだこれからもどんどんブログの形態は変わっていくだろうし、把握するのは難しい世界のように思う。

今懸念していることは、ブログの中毒性について。あまりにも簡単に更新ができ、コメントを受け付けることができる。テキストだけでやりとりのできる仮想の世界、現実とはまた違う世界がここにある。

人は、人との繋がりを求めて生きる生き物だ。ネット上の世界に惹きつけられれるあまり、現実はほったらかしにしてネットの世界にしがみついてしまわないか。インターネットに繋がれば手軽に多くの情報を得ることができ、ブログを運営するにもネタに事欠かない。それが経験を伴わない、知識のみから生まれたネタであったとしても。

ブログを始める前は、レポートがある時期以外パソコンは閉じたままだった。しかしブログの面白さを知るにつれ、しだいにネットに繋がっている時間が増え、気づけば夜空が白み始めるまでネットの世界を覗いている日も珍しくなくなってた。そうなると昼夜は逆転する。

ブログに惹き付けられる一方で、その危険を感じて回避しようとする心の動きを感じる。「他にやることがあるのについついブログを見てしまう」という内容の記事を他の方のブログでも見かけた。自分を律する力を鍛えなくてはならないのかもしれない。でもそれは、なかなかできないこと。自分との戦い。

好きな歌がある。河島英五の「水瓶の唄」だ。

百万冊の書物を読み 一日中テレビの前にいれば
どんな事でも知ることができるだろう
その部屋に寝ころんだままで

だけど 友よ それで それで自由になれたかい

河島 英五 コレクション

河島 英五 コレクション

インターネットでは書物よりもテレビよりも手軽に情報が手に入る。だけど、それで本当に自由にはなれない。かえって情報に縛り付けられて生きているような気もする。そして、画面から得た情報がどんなに多かろうと、肉体に刻まれた経験を超えることはできない。

便利な情報収集装置、現実世界では関わることのなかったであろう人との出逢い。利点は活かしても引き摺られないようにする心の強さが必要かもしれない。