醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

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夢は探すものではない〔書評〕養老孟司 「無思想の発見」

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NEWS23|TBSテレビ」の「筑紫録」初回、一月九日の筑紫哲也さんと養老孟司さんの対談を見た。

テーマは「脳化社会」への警告。その中でニート問題が取り上げられていた。

何故こんなにフリーターやらニートやらが増えているか。それは、個性重視の社会、夢を持つことの強制がそうさせるのではないか、と二方は語る。

若者に夢がなくなった。自分に合った仕事が見つけられず、さまざまなバイトを点々とする。もしくは、まったく働かない。「どんな仕事を選んでもいい」という自由が、かえって若者たちを苦しめる

「仕事に、辛いことが付き物なのはわかっている。だけれど、自分が心からやりたいと思える仕事だったら、どんなに辛いことでも耐えられるんじゃないか」そんな呟きがあちらこちらから聞こえてきそうな、今。

だけれど本当にそうか。好きな仕事だったら本当に何でも耐えられるのか。そんな甘いものではないだろう。かえって自分の夢の途上で大きな壁にぶつかったら、そこで諦めてしまう人が多いのではないか。そして、何も職業が「自分の夢」である必要はないのでは。

仕事は、食べて生きていく手段。その中で起きる辛いことは、乗り越えていかなくてはならないもの。たとえ好きな仕事ではなくても。

養老さんの『無思想の発見』を読んだ。その中でも、個性について語られてた。

無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)

  • 作者:養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 新書

「心に個性がある」という考え方は、世間に流布している。おかげで若者が妙なことを口走るようになった。「本当の自分」「自分探し」「ナンバー・ワンよりオンリー・ワン」「世界にたった一つの花」等々。自分は世界にたった一つに決まっている。だれも他人の人生を生きるわけにはいかない。(第二章 だれが自分を創るのか; p.57)

同感。個性は見つけるものじゃない。誰だって違うのだから。個性を探せ、夢を探せ、夢を仕事にしろ。世間からのメッセージが容赦なく若者の上に降りかかる。だけど果たして、夢は「探す」ものなのか。いや、違う。興味や、そこから生まれてくる夢は、人生を生きていくうちに創られていくものだ。

夢を必ずしも仕事にする必要はない。「夢を仕事にしなければならない」という強迫観念が宙ぶらりんの生活を産み出しているなら、個性重要社会の弊害。金銭的に自立しなきゃいけない位置に立たされたら、とりあえず自分で食べていかなきゃいけない。いつ解雇されるかわからない、保障のない仕事でなく、生きていく為の職に就いて。

追記(2013年11月11日)

この記事を書いていたとき私は学生で、自分の進む道について思いあぐねていた。夢を追って好きな仕事につくことは魅力的であったけれど、その収入の不安定さを恐れていた。夢を趣味に残しておいて、安定した仕事に就くのが堅実だと思っていた。

今は、そうは思わない。

正社員の就職口が減っているのだから、ニートやフリーターが増えるのは当然だ。そしてもう、「正社員」という生き方にはそぐわない世代がこの頃には生まれ始めていた。当時のニートがいまや、新しい生き方を見つけ始めている

農耕民族の日本人は、周りと同じであることを尊ぶ。自分らしくあってはいけないという、言葉ではない刷り込みを、幼いうちから受けている。どう生きるのが自分の人生か、見失うコースに線路は引かれている

もっとあがけ。脱線して、立ち止まりながら、転げ苦しみながらも、自分の人生を歩くのだ。