男に尽くす女になど
久しぶりに恋人と週末を過ごす。しばらく日を置いて会うと、お互いぎくしゃくする。かみちがう。出逢うまで、ともに違う場所で生きてきたことを思い知らされる。
「俺、肉じゃがつくって待ってるような女は嫌いだな」
料理でつろうっていう下心がみえみえじゃないか。男友達のひとりが、かつてそう呟いていた。同感。私は家庭料理で、男を繋ぎとめたくない。「温かなお皿」の登場人物のように、恋人に台所の采配をとらせる。部屋についてすぐ食器を洗うのも、夕飯の献立を決めるのも、そしてそれを調理するのも、恋人に委ねてしまう。
- 作者: 江國香織,柳生まち子
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 1993/06
- メディア: 単行本
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それでいいと思っていたのに。恋人の顔に苛立ちが浮かんでいることに気づいてしまった。冷蔵庫の中がいつでも空っぽなことに、彼は顔をしかめる。どうして買いだめをしておかない? これじゃ人が来たときに困るだろう、と。
だけれど、この部屋に訪れて食事をするのは恋人だけなのだ。いつ来るかもわからない恋人の為に、ひとりで食べきれない分の食料を準備しておくなんて、そんな惨めなことはない。冷蔵庫の中で腐乱していく食品たちと一緒に、私まで腐っていってしまうような気がする。
認めなくてはならないのは、私がいつも恋人まかせにしていたことだ。受け取ることばかり待っていた。自分からは何もせずに。
恋人への苛立ちと、自分の不甲斐なさへの腹立ち紛れに、野菜室に残っていたほうれん草で胡麻和えをつくり、かぼちゃとピーマンの煮物をつくった。ビールをあけて野球中継を見出した恋人の前に皿を置く。まるで結婚生活の倦怠のようだと、滑稽に思いながら。けれどそれと同時に、この状況を嬉しく感じている自分を知っている。「夫に尽くす妻」の図にはまってしまうことを表立っては忌み嫌いながら、どこか奥のほうでは喜ばしく思っている。
むろんいさかいは会ってすぐの数時間に限られ、空腹が満たされ、互いの肌の温度が同じになる頃には、すっかり苛立ちなどどこかへいってしまうのだ。