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〔おすすめ漫画〕山岸凉子『日出処の天子』

聖徳太子といえば、懐かしいあの一万円札。あごがなんとなく出ていて、しもぶくれで、ひょろっとしたおヒゲが生えている。お内裏様みたいに、烏帽子をかぶって杓を持っている。歴史の授業でもおなじみだ。摂政なんていうえらい役職で、冠位十二階とかいう画期的な制度をつくった人。

以上、『日出処の天子』を読む前の聖徳太子のイメージ。誰もが知ってる有名な、歴史に名高いえらい人。さて読後、このしもぶくれのえらいおじさんのイメージはガラガラと崩れ去った。そうして新たに植え付けられた聖徳太子像は、あまりに妖艶で美しすぎる少年の姿である。

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第2巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第2巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第4巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第4巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第5巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第5巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第6巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第6巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第7巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第7巻) (白泉社文庫)

物語の中心を担うのは若き日の蘇我毛人(蝦夷)。有力な蘇我家の惣領息子として生まれながらも野心を持てず、奥手でちょいとドジな青年である。14歳の毛人が10歳の厩戸王子(聖徳太子)と出会うところから物語は始まる。

聖徳太子にまつわる伝説はいろいろある。有名なところでは、10人の話を一遍に聴き取れるとか。山岸作品の厩戸王子はさらに強烈である。頭が切れるだけでなく、普通の人間では扱えないような特殊な能力を持つ。念の力が強すぎる、と言ったらいいだろうか。その能力は実母である穴穂部間人媛ですら恐れ厭うほどで、彼の心に深い孤独の傷を負わせた。

完璧すぎる人間は孤独である。そんな厩戸王子の心の拠り所が毛人であったのだろうか。同性でありながらもあまりに美しく、どこか陰を抱えた王子に、毛人も初恋に似た感情を抱く。毛人の理性が眠るとき、二人は性の壁を越えて惹かれ合う。

二人の出会いから、王子が摂政となる10年間で一度この物語は幕を閉ひく。続編となる「馬屋古女王 」の物語は、まるで源氏物語でいう「宇治十帖」のよう。聖徳太子の死後、彼の子どもたちが主人公なる。毛人は存命のようだけれど物語には顔を出さない。ただ彼の残した不義の子が、薫の君のごとく苦悩を背負って生きている。

遠い昔の話。まだ日本に仏教が広まる前のこと。歴史の教科書の中の人物でしかなかった彼らが身近な存在になってしまいました。王子と毛人をとりまく女たち、その生々しさを見るにつけ、男だけしかいない斑鳩宮を清浄に感じてしまう私は歪んでいるでしょうか。おや、そういえば私も女であったと気づくとき、両性具有のような王子に感情移入していたことに気づくのです。

冷酷な面も持つ王子が、毛人といるときにだけ拗ねたような顔をするのがなんとも可愛らしく、見所です。登場の度に変わる髪にかざした花も。聖徳太子のこと、もっと知りたくなりました。今、梅原猛先生の『隠された十字架』を読んでいるところです。

梅原猛先生の本

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

この本が『日出処の天子』の発想の源になったのだとか。

聖徳太子 (1) (集英社文庫)

聖徳太子 (1) (集英社文庫)

こちらも読まなくちゃ。

仏教の思想〈上〉 (1980年)

仏教の思想〈上〉 (1980年)

哲学書ではなくて、小説を読んでいるよう。登場する僧一人一人が強い個性を放ち、行間で呼吸をしているような文章で綴られています。ぐっと、時を超えてそちらの世界に引き寄せられてしまう。