醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

そもそも自分は人間じゃない。だから「人でなし」で構わない。

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「それは人としてどうなの」と言われることの多い人生だ。

「他人にも感情があるってわかってる?」

そう言われると、確かにわかっていないのかもしれない、と思う。私は人間として、どこか欠陥があるのかもしれない。


中学生の頃。いじめられていたわけでもなく、仲間はずれにされていたわけでもなく、それでもクラスに打ち解けられなかった。好きな者同士でグループを組めば、いつも一人だけあぶれてしまう。それでも優しいクラスメイトたちは「うちの班に入りなよ」と手を引いてくれる。ありがたいけれど、彼女たちに自分を合わせるのは窮屈だ。

京都には修学旅行で行った。ひとつの班で一台、タクシーをチャーターする。グループ行動の班は部屋割りと連動しているから、必然的に男女別となる。「彼氏といっしょに渡るんだ」と言う班の女子につきあって、渡月橋のたもとで男子の班がやってくるのを待つ。

申し訳程度に神社仏閣をのぞき、アイドルの写真ばかり売っているお土産屋さんを物色する。リーダー格の女子の「お世話になったタクシーの運転手さんにプレゼントをしよう」という提案で、ひとり500円ずつ出し合って、お土産屋で売ってる変なジッポを買う。

そういうことのすべてが苦しかった。


グループ行動が基本の修学旅行中、ほんの2、3時間だけ自由時間があった。清水寺で解散する。誰からも呼び止められないように、一目散に境内を駆け下りる。人混みをかき分けて、石段の坂道を風のように駆け下りる。

風が頬を切っていく。体は軽い。気持ちよかった。ようやく息が吸える。

ふと、悟る。私は、無理して人間になろうとしなくて良いのではないか?

そう、例えば私は、この京の都に巣くう化け猫。ほんの数十年の間、人の姿に身をやつして人間界を楽しんでいる。もともと妖怪なのだから、人間に馴染めなくて当たり前なのだ。

どんどん体が軽くなっていく。風の当たる頬からは、ぴんと張ったヒゲまで生えてきそうだ。尾っぽを高く掲げて、この懐かしい京の街を駆け抜けるのだ。


二年坂で喫茶店を見つける。

「あら、修学旅行?」
「そうです」
「一人なの? 珍しいわね」
「ええ、自由時間なんです」

得意げに言って珈琲を注文した。窓からは光の差す石段と、青々とした庭木が見える。熱い珈琲をすすり、やっと私は、せいせいと生きられる気がしていた。


あれから20年が経つ。ときどき私は、自分が人間ではないことを忘れてしまう。「人としてどうなの?」という言葉に、また私は何かやらかしてしまったのだろうか、と気に病んだりもする。
その度に、あの清々しい京都の坂道を思い出すのだ。いいのだ、私は「ひとでなし」のままで。