醒メテ猶ヲ彷徨フ海|野原海明のWeb文芸誌

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

ライブラリー・ジャーナリストとしての出発

f:id:mia-nohara:20190412170341j:plain

酒場で図書館コンサルタントの仕事を辞めた話をしていたら、呑み仲間のA君が「うん、わかるよ」と言った。

「本って、みんな電子書籍になっていくんでしょ? それなのに紙の本ばっかり扱っている図書館って、斜陽産業だもんね。仕事してて暗い気持ちになるのもよくわかるよ」

えっ? と思って、慌てて答える。

「いやいや、斜陽産業だから辞めたわけじゃなくて……その前に図書館というのは、紙の本ばっかり扱っているのではなくてですね」

と、ここまで言いかけて、私はこの調子で図書館について語り始めたら1時間でも2時間でも演説してしまうぞ、と気づく。

「ごめん、私がこの話を始めると、夕暮れのまったりした呑み屋の空気が台無しになっちゃうから、また後でちゃんと説明するね」

とその場は納める。それにしても、と私は思う。私の中にまだ、そんなに図書館に対する熱意が残っていたとは、ね。

図書館の世界からは離れるつもりでいた

そもそも図書館の仕事を始めたのは、「小説だけ書いていたら稼げないから」と思い込んでいたからだった。小さな頃から図書館が好きで、小中高とずっと図書委員。図書委員をしていない期間も、放課後の図書室に通って学校司書の仕事を手伝っていた。図書館の仕事は好きで、得意なことだった。

一番じゃないけど好きで、なおかつ得意なこと。他人からも求められること。それが仕事になって、生活していくお金が稼げるのなら、そんなにうれしいことはないと思った。

いつのまにか図書館コンサルの仕事が日々の中心になって、がむしゃらに働いていたら、心も体も疾患を起こしていた。いくら好きな仕事をしていても、人生で一番やりたいことをおろそかにしちゃいけない(私の場合は小説を書くこと)。それから、自分の性質に合わない働き方を無理に続けちゃいけないと反省する。

いろんな仕事が中途半端なままに辞めることになってしまって、「もう図書館からは距離を置こう」と思っていた。図書館に関する仕事は、もう生涯やらないだろうと。

でも、A君と話をしていて、私はまだ、図書館の世界でやり残していることがあると気づく。

図書館の外側にいる人へ伝える「ライブラリー・ジャーナリスト」

学校の図書室しか知らなくて、中学の職場体験で初めて公立図書館に行ったとき、その大量の本を子供の私でも無料で借りられることに驚き、感動した。

大学で司書課程を学び、図書館はただ本を保管して貸し出すだけじゃなくて、その町の情報を記録して残していく役割を持っていることを知った。

誰にでも開かれた叡智。個人で所有するのではなく、みんなのお金で情報を集め、伝えていく場所。すべての人の財産。そんな場所が世界に存在することを素晴らしいと思った。だからそれを、その役割を、多くの人に伝えたいし、残したい。*1

今私がしようとしている仕事は、図書館で働く「図書館司書」でも、図書館へアドバイスをする「図書館コンサルタント」でもない。図書館とは何であるかを、図書館の外側にいる人に伝える「ライブラリー・ジャーナリスト」だ。

以前のボス、アカデミック・リソース・ガイド(ARG)の岡本真(敬意と愛を込めて敬称略)に、そういう肩書きがアメリカにはすでにあることをかつて聞いた。日本でその肩書きを名乗っている人を私はまだ知らない。猪谷千香さんの仕事が近いかもしれない。

私は二番煎じになってしまうだろうか? いやいや、猪谷さんが書きたいことと、私が書きたいことは違うはずだ。まだ私に伝えることは残っている。

ものすごぉーく、マイペースに始めます

取材して図書館関係の記事を書くという仕事は、ARGのスタッフだったときにもやっていた。でもそれは、依頼を受けて書く「ライター」としての役割の強い仕事だったと思う。依頼ありきではなく、自分が伝えたいことを書くために取材をする「ジャーナリスト」として書き方に、私は自分の仕事を変えていこうと思う。

関連記事>>>ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)第19号 特集「図書館の指定管理者制度を問い直す〔序論〕」を執筆しました

そして、ものすごぉーくマイペースに。〆切はつくらず、組織には所属せず。もちろん、小説を書くことを最優先にして。

図書館司書として7年、図書館コンサルタントとして4年。その間に知り合い、お世話になった皆様、大変ご無沙汰しています。また近々、お目にかかれますように。

そして、ただいま。

補足:ところで、ライブラリー・ジャーナリストって、何?

補足記事を書きました。

mia.hateblo.jp

*1: もしかするとそんな役割をもつのは、「図書館」と呼ばれるものではなくなっていくのかもしれない。私が伝えたいものは「図書館のようななにか」なのかもしれない。 でもやっぱり「図書館」という言葉は強い。誰の中にでも、なんとなくでもイメージがあるから。だから今のところは、「図書館」「ライブラリー」というキーワードを使い続けてみる。