闇
彼岸はゆっくりとすぎゆく。いまは亡い母と、その娘の頭上を。
おれは母を亡くし、同時におれをつなぎ留めるすべての根元を失った。ひとりの人間の死は、遺された人間の生き様を変えてしまう。おれは親も、家族も実家も、故郷も失った。
父はまだ生きているらしいが、彼が「親」であったのはもう二十年も前のことだ。おれはその男の顔を、二十年来まともに見たことがない。兄妹は無い。親戚とは疎遠になってしまい、おれは彼らの名前さえ、よく知らない。
このだっだぴろい地上において、血族とおれとを繋いでいたのは、ただ母ひとりだったのだと今更ながら思い直させる。おれは、血族郎党のうやむやかから離れて、ただ独りになった。この地平に、おれと同じ血をわかつ者は、もうおれの手の届くところには何処にも存在しないのだ。
それはひどく自由であると同時に、ひどく虚しいことだ。
母親の法事で戻った群馬は、遠く知らない土地のように思えた。観音山も、碓井川も。おれはこの地を観光客のひとりとして旅することはあっても、もう二度と「帰る」ことは無いのだろう、と思った。
人の故郷は、土地にあるのではない。人にあるのだ。
母亡き今、故郷はもはや帰るところではなくなった。親類縁者の無い地に暮らすおれにとって、母は最後の支えであり、唯一の家族であった。それと同時に、揺るがしがたい、ひとつの重しでもあった。
おれは故郷を離れ、何処ででも生きていけると思いながら、結局はいつでも母の元へ逃げて帰れる処にしか居を構えられなかったのだ。
今、おれは自由になった。自由とは、なんとこころもとないことだろう。
おれの身は、おれが守ればいい。
ヒグラシ文庫で同人に会う。慰め合うことは簡単だが、そこに出口は無いことをお互いによく知っている。日本酒、鮭のソテー、スルメイカの酢漬け。