〔映画〕変わりゆく日々のなかを電車は走り抜ける ~ 侯孝賢監督 「珈琲時光」
- 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
- 発売日: 2005/03/29
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都電荒川線、中央線、山手線、高崎線、上信電鉄。どれもこれも馴染み深い線ばかりで驚く。都電荒川線はすぐそこを走っている。中央線に乗っていけば恋人の家。山手線、高崎線と乗り継いで行く先には実家があり、上信電鉄の駅には友達の家がある。車窓を流れていく景色は見覚えのあるものばかり。思わず乗客の顔を見回し、見知った顔がキャストにいないかどうか確かめてしまった。
画面の切りとり方の思いがけなさに、感嘆の溜息が零れる。吉井町の実家に陽子(一青窈)を乗せた車が到着するシーン。台所に向う母親の背中、手前にはガラス戸。そのガラス戸に入ってきた車が写る。ただいま、の声。カメラの位置は変えずに、台所の様子と車の様子を同時にひとつの画面に映し出す。
それから、電車が並んで走るシーン。こちら側の車内には陽子、二重の窓ガラスの先、隣りの線路を走る車両には肇(浅野忠信)。
または、御茶ノ水の線路の遠景。さまざまな色に塗られた電車が、無数に入り組んだ立体交差の線路を一時に駆け抜けていく。その時間帯を狙った、きわどいタイミング。おそらく、電車について詳しくなければ撮ることのできないシーンだ(実際、肇は電車マニアのようでもある)。
説明は最小限に、後は淡々と日々を追う。得に事件は起こらない。日常。それは陽子という一人の登場人物の人生の一幕でありながら、観ている観客のそれのようでもある。なんでもない毎日から、生まれてくるもの。珈琲を飲む合間合間のひととき。平凡さの中に、見落としてはならないものがある。