野原 海明(のはら みあ)と申します。
中島敦の山月記を読んだ時、おれは李徴の苦悶の叫びを我がことのように聞いた。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいである。己れの珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己れの珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。*1
人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。己よりもはるかに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎となり果てた今、己はようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。*2
「おまえになど才能は無い」と言われることが恐ろしくて作品を世に出すこともできず、そのくせ次々に本を出していく後輩たちに嫉妬する。人生は有限だ。これではいつか李徴よろしく、もう執筆などできなくなってからおのれの愚かさに悔いるだけだ。
下手だと言われようと、作品に価値も無ければ才能も無いと言われようと、どんな酷評を浴びてもおれは書き続けなくてはいけない。
二〇一二年八月某日 野原海明