〔日記〕 故郷は遠く、遠い。ただ草津を歩くことにする。
一月十一日 曇つて晴れる、雪の後のなごやかさ。
種田山頭火 行乞記 三八九日記
あんまり寒いから一杯ひつかける、流行感冒にでもかゝつてはつまらないから、といふのはやつぱり嘘だ、酒好きは何のかのといつては飲む、まあ、飲める間に飲んでおくがよからう、飲みたくても飲めない時節があるし、飲めても飲めない時節がある。……
草津から帰ってきたら、ぐったりとしている。一瞬通り過ぎた故郷には何故だか懐かしさの欠片も感じない。そこはただ、昔からの友人たちが住んでいるだけの街になった。遥か遠い、どこか遠い街にやってきたようだ。
草津の「子供お断り」の頑固そうな居酒屋では、地元のおにいさんが遅くに暖簾をくぐって「今日はマグロ、ある?」と聞いていた。少し凍ったマグロがご馳走であった故郷。なぜ大人はあんなものを有難がって食べるんだろう。不思議で仕方なかった。シャーベットのようなマグロのブツ、味のしないイカ刺し。味噌がベースのぼやけた味の煮込み料理。そうだ、おれはそんな郷土の食い物が好きではなかった。食べることのが嫌いな子供に育っていた。食事をするくらいなら、本を読んでいたかった。
草津はたぶん初めてではないはずなのだが、いつ来たのかは覚えていない。「熱帯園へイグアナを見に行く」と言ったら、連れが誰もついてこなかったので、仕方なく独りで湯けむりのたつ街をぶらぶらと歩く。
翠の湯が湧きたつ、鬼の茶釜とやらを覗き込み、手を入れてみる。生ぬるい。流れる川からは湯気が立ち続けている。どこもかしこも温泉なのだ。
ここに投げ込まれた一円玉は、あっという間に溶けてしまうらしい。
西の河原と名付けられたそこには、小石と鬼と、子供を抱きかかえる地蔵の姿がある。ここで石を積むような罪を得ることは、おれにはなくなった。有り難いことに。
ビジターセンターから下を歩く人たちを眺めていたら、連れの一団の後ろ姿を見つけた。慌てて追いかけて合流する。
さあて、どこへ呑みに行こうかね。