〔日記〕夢を白紙に戻したそののち
長風呂な性分である。高校生の頃の共同生活で一番辛かったのは、風呂に入ってよい時間が1人20分までだったことだ。
風呂の中では、決まって本を読む。髪を洗いながら考え事をする。恥ずかしい失敗を思い出して、一人で呻いていたりもする。あとは、人生について考える。生き方とか、夢だとか、青くさい感じのことを。
母校で講演をして欲しいと頼まれた。中学一年生に、働いている先輩のリアルな声を届けて欲しいのだという。「図書館でお金をもらう仕事をしながら、物を書いて生きていく」「図書館に関わるなら、最先端の情報でいつも磨かれていたい」「一つの場所にとどまるのは退屈だから、日本中を渡り歩いて働きたい」。10代の頃の夢は、つまりみな現実になったわけだ。
最後の質問で、「では、今の野原さんの夢は?」と訊かれて返答に詰まった。
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少し前なら、「ベストセラーを書くこと」とか「ノーベル文学賞を取ること」とか答えていただろう。書いて生きていけるなら死んでもいいと思っていた。でもそれは、ただ有名になりたいだとか、賞を取りたいだとかいう虚栄心に過ぎなかったのではないか? 書きたいことの一つももっていない無いくせに。
しばらくの間、夢をリセットしていた。書かなくても生きていけるんじゃないか。求められた仕事をしていて、それが面白いのであるならば。「今の夢は?」という問いには、「明確に目指しているものはないけれど、求められて、流れ流れてここまできたので、もう少し流されてみようと思います」と答えた。
今の仕事は面白い。しかしもし、働かなくても充分生きていけるだけのお金があったら、おれはこの仕事を続けるだろうか。風呂の中で何度も問い直していた。得意で、好きで、喜ばれる仕事。でもおれは、いつもどこかに冷めている自分を感じている。
一方でやっぱり、書いている人にいつも嫉妬している。売れっ子作家にインタビューをしながら、おれがそちら側で話したいと思う。本をつくる仕事をしているオフィスの仲間を、とてもうらやましく思う。
朝日の差し込む風呂の中で、ふと天啓がおりてきた。
書くしかなんだろうな、やっぱり。
死んでもやりたいことは、それなんだろう。書きたいことがなくたって、駄文だって、読む人がいなくたって、たぶんずっと書くんだろう。それが小説なのかノンフィクションなのか、インタビューなのか解説なのかはわからないけれど、とにかくずっと書くんだろう。
iPhoneを新しくしたとき、ケースには虎の柄を選んだ。いつでも中島敦の「山月記」を思い出すように。おれは、李徴にはならない。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。
中島敦 山月記
コバカバで日替わり定食。塩鯖。午後から関内へ出社。
もう野でも山でも、どこでも草をしいて一服するによいシーズンとなつた、そしてさういふ私の姿もまた風景の一点描としてふさはしいものになつた。
[種田山頭火 行乞記 (二) 一九三一(昭和六)年]
夜、指宿からかおる館長がやってきた。みなで「ほおずき」へ行く。初対面同士が多いとは思えないほど、盛り上がった。
李さんの帽子とメガネを奪って、李さんに変装するまさおさん(その後ろに本物の李さん)。
〔日記〕雨に煙る東京
- 焼き棄てて
- 日記の灰の
- これだけか
- 山頭火
また日記をつけ始める。実は、新年になって、一月八日からつけ始めていた。
だれかの日常生活だなんて、ネットで公開されているところで、どうでもいいものかもしれない。でも、高山なおみさんの日記『日々ごはん』を読んで、おれの人生は確かに変わった。レストランで働いていた日々から、独立していく緩やかな日々への移り変わり。時折はさまっている鋭い指摘、観察眼。夫であるスイセイさんとのやりとり。そんなもののすべてが、とてもうらやましいと思った。
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だからもう一度、自分も初めてみようと思うのだ。
勿忘草より
わすれぐさ
ちよいと一服やりましよか
カルモチンより
[種田山頭火 行乞記 (二) 一九三一(昭和六)年]
アルコール
ちよいと一杯やりましよか
銀座へ。四丁目交差点は雨に煙っていた。行きの電車で仕事をするつもりだったが爆睡。銀座駅の発車ベルは「銀座カンカン娘」だ。打ち合わせ時間までまだ間がある。銀ブラをしながら「傘もささずに靴までぬいで……」と口ずさむ。日本デザインセンターで須賀川案件の打ち合わせ。13階の受付からは、カルティエとティファニーの看板が見えた。
中野へ移動。ビーフカレー。スターバックス中野通り店でしばし仕事。雨の中、高井さんのガレージへ。作成をお願いしていた映像を見に行く。ちょいと感動する。ガレージは、少年のまま大人になった男のひとの秘密基地みたいだ。壁に吊された工具、ケースに細かく分類された部品。窓からは桜の木が見える。
中央線で東京駅へ。東京駅の中央線ホームはエスカレーターが長くて少しこわい。横須賀線で鎌倉へ。ここのところ根を詰めていたせいか、またもや電車で爆睡する。鎌倉に着いたのは16時頃だったが、さぼりたい気持ちを優先させることにする。峰倉かずや先生の漫画をKindleで大量に買う。