定食屋
学生時代、独りでよく行った定食屋があった。七十を超えたママは黒々とした髪を美しく結い上げ、すっと背筋を伸ばしてカウンターに立った。席は五席ほど。やってくるのは、たいてい独り暮らしの男子学生である。鯖の味噌煮定食が五〇〇円だった。品書きに肉は無くてみんな魚だった。閉店は八時だが、「おやすみなさい」と言って送り出してくれる。
黒い髪は、いちども染めたことがないのだと言った。真っ赤な紅をひいていた。
おれは夜間学生だったので、授業が六限しかない日にだけ立ち寄る。それでも閉店間際だ。
いつからか、閉店時間が近づくとママが窓の向こうを一層背筋を伸ばして見ていることに気がついた。
そしていつも、閉店間際にやってくる男子学生は同じ男の子であることにも。
彼は品書きを見ない。
カウンターにつくと、すぐさま新聞を広げる。
「今日はトマトが美味しいのよ」
「ああ」
そうしてママは彼の為だけの特別定食をつくる。
その後、会話は無い。
ママは彼が箸をはこぶのを、ずっとずっと見つめている。熱く。
「あのかた、いつもいらっしゃるんですね」
一度、聴いてみた。
「そうなの。お昼も晩も、ここで毎日食べるのよ」
ママの頬は薄紅に染まっていた。