〔日記〕ウィキペディアタウンサミット 2017 京都
悠長な感じで会場入りしたら、「会計係がまだ来ていない」と騒然としていた。それはまあ、そうだろう(申し訳ない)。「ウィキペディアタウンサミット 2017 京都」当日。おれはOpenGLAM JAPANの事務局として、金回り担当で参加する。
ウィキペディアタウンにはたびたび裏方スタッフとして参加しているが、編集に参加したことはまだない。事務局というのは、自分の興味関心と少し離れている取り組みのほうがやりやすい。アートアーカイブの事務方をやっていたときは、なまじ好きな分野であるだけに、どっぷり関われない、「蚊帳の外」のような淋しさがあった。OpenGLAM JAPANの事務は、観察者みたいな感じで、マニアックな人たちと関われて面白いと思っている。
前半はこれまで日本各地で開催されてきたウィキペディアタウンの報告。後半はファシリテーター養成講座として、実際のウィキペディアタウン(ミニ版)と、ウィキペディアタウンを運営してきた人、これからやろうとしている人とを交えたシンポジウム。そして、新たな分野との連携の可能性のミニレクチャー。
電源タップにおのおののパソコンをつなぎ、一斉にWikipediaの項目が編集されていく様。ふだん、Facebook上でじゃれ合っている人々のオフ会っぽい要素もありつつ会場は和気あいあいとしている。詳細な中身については偉大さんに譲ることにしよう。
思えば、大学受験以来の京都。このまちで学生時代を過ごす可能性もあったことを思うと感慨深い。
大隈公園といふのがあつた、そこは侯の生誕地だつた、気持のよい石碑が建てられてあつた、小松の植込もよかつた、どこからともなく花のかをり――丁字花らしいにほひがたゞようてゐた、三十年前早稲田在学中、侯の庭園で、侯等といつしよに記念写真をとつたことなども想ひ出されてしようぜんとした。
[種田山頭火 行乞記 (二)一九三一(昭和六)年]
「お狩り場」で信州ジビエを堪能する。信州からの参加者も多かったから、自分がどこにいるのかだんだんわからなくなってくる。鍵屋荘で二次会。これからの生き方の話などを熱めに。