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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

〔書評〕「まぶい」の落し物、届いてますよ ~ よしもとばなな『なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか』

大学図書館で仕事をしていて、最近興味深く感じるのは、貸出・返却の為にカウンターにやってくるときの学生たちの表情です。
ニコッと笑顔で本を差し出す人もいれば、申し訳なさそうに「すみません、すみません」とペコペコやってくる人もいる(何にも悪いことしてないんだから胸を張って生きなせい!と言いたくなってしまう)。

そうして、無表情でやってきて、ひとことも発せずに手続きを終えて、また無表情で去っていく人のなんて多いこと。まるで空気を相手にしているような気がするときもあります。
そんな時、よしもとばななさんのエッセイを思い出すのです。
「ああ、この人も『まぶい』が抜けている…」と。

 大学時代を東京で過した学さんがなにげなく「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」と言った。その表現は私の心をノックアウトした。その後彼に風邪をうつされて二週間苦しんだことも帳消しになるほどの感動だった。
 そうか、この表現がまさに私の求めていた感覚だ、と思い、はっとした。
 私がお台場で、渋谷で、新宿で、電車の中で感じ、お店の店員さんにもよく感じるあの感じ、人間と向き合っているのに、誰もいないような感じは、大勢人がいるのに、みんな薄く見える感じは、それなんだ、と思った。*1

沖縄にある「まぶい(魂)を落とす」という表現。それは気を失うとか、死んでしまうとかいう状態をさすだけじゃなくて、人間が人間らしい感情を失うこともそう呼ぶのだろうと、勝手に私は解釈しています。

そしてふと思う。東京の街を歩いている私も、まぶいをどこかに落っことしていやしないか。人に声を掛けられたとき、無表情になっていないだろうか。擦れ違う人にとって、空気のような存在になっていやしないか。

買い物をするときのレジには、やっぱり笑顔で向かいたい。いつも行くお店ではちょっぴり世間話もしたい。路地で知らない人と擦れ違うときも、目が合ったら笑顔で挨拶したい。田舎に住んでいた頃はあたりまえだったそんな一つ一つを、どこかに忘れてきてはいないか。むすっとした顔のまま、生きてやしないか。

人間として生きることを、忘れてはいないだろうか。

*1:よしもとばなな『なんくるなく、ない 沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか』(新潮文庫) 新潮社 2006.4 p.57