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醒メテ猶ヲ彷徨フ海

野原海明(のはら みあ)のWeb文芸誌

イワサキタクジ新作展「ヒトと紙片、ソレ以外のモノ」

イワサキタクジ氏(勝手にイワタクさん、と呼んでいる)の新作展に行く。ドローイングと幻燈会。鎌倉は長谷の光則寺。幼稚園の、今はおかあさんたちの寄り合い場所として使われている旧園舎へ。

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入り口の様子を外からこっそり撮影。

遠くからでもこの三角形の旗を見ると、「あ、あそこにイワタクさんの展示が」とすぐわかる。運動会の万国旗のようでもあり、死びとの額につける布のようでもある。

かつて幼稚園の園舎だったそこには、子供たちの玩具も残されている。それも、最近売っているような玩具ではなくて、二十年以上前におれが持っていたのと同じ、古臭い鍵盤だとか、そんなようなもの。

もうここに、子供たちはいない。

変わりに、イワタクさんの描いた子供の「まぼろし」が、部屋中にぶら下がっている。顔のない子供たち(小さな点のような眼がついている子もいる。その子たちは何故かみんなこちら側を見つめているような気がする。遠慮がちに。でも、意思を持って)。細い線で描かれているのに、そのふちどりだけがやけに目立つ。朱や碧や紫の太い線は、それが目立つから余計に彼らの姿をぼやけさせる。

それは、その埃っぽい園舎が今も見続けている夢のようだ。赤ん坊のような、釈迦のような、やはり子供たちと同じように顔のない人影が空と地とを指差している。その隙間から春が溢れた庭が見える。

子供たちの後ろには暗幕。少年たちの秘密基地のように四角く覆われている。いつもの幻燈機が二台並べられていて、どこかで見たことのあるような(それはどこだったのか、夢のなかだったのか)景色がかしゃり、かしゃりと映し出される。ヒトのいない光景は無音。その静けさは不安にさせる癖に、何故だろう、恋しくもさせる。

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光則寺の境内を散歩する。お隣の長谷寺はヒトで溢れ返っているみたいなのに、こちらは静か。咲き、そしてやがて散る、花、花、花。

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稲村ケ崎まで江ノ電に揺られる。いつのまにか海に出てしまった。