さすらい姉妹「ロストノスタルジア-蛍の残存」を観に寿町へ行く
ヒグラシ文庫*1のスタッフになり、水族館劇場*2という劇団と出逢った。普段は駒込の大観音を拠点に野外劇を繰り広げている彼らが、逗子ヒグラシ文庫で演じてくれたのだった。大仕掛けの野外テントが有名な彼らは、なんと俳優ら自らがボンタン穿いて舞台を組み立ててしまう強者たちなのである。
劇の始まる前の会場に行くと、舞台用の濃く激しいメイクをした役者たちが、工事現場さながらの恰好で舞台を組み立てていてぎょっとする。金銭的な面は無報酬、という点はヒグラシ文庫スタッフと同じ。お金にならないのに、他の仕事と掛け持ちしてまで、何故そんなハードなことを...と彼らを見ていて人は思うだろう。それでもやらなければならない。突き動かすものがある限り。
一度は活動を休止していたそうだが、3.11以後、彼らは再び演じ始めた。伝えなくてはいけないものがあるんだ。「肝心なのは速度である」。作演出の桃山邑氏の詞通り、彼らは進み始めた。ヒグラシ文庫、古書信天翁、古書ほうろうを巡回したこの秋の「公然たる敵-ロストノスタルジア-」。暮れから正月にかけての寄せ場興行・さすらい姉妹「蛍の残存」はその続編にあたる。山谷、寿町、新宿中央公園、渋谷美竹公園、上野公園と巡回していった。
おれは知らなかったのだ。寿町がどんな街であるか。線路を挟んで中華街の反対側にその街はある。
中華街の華やかさは嘘のよう、コンクリートの雑居ビル。薄汚れた看板に「ホテル」の文字。黄ばんだ洗濯物。鼻をつく饐えた臭い。道端に積み上げられたごみ袋。
時は元旦。幼稚園の前でもちつきをやっていた。まるで配給に並ぶような無言の列。頬を赤くした子供の姿もある。杖をついて歩いていく爺さんの服は、もとの柄がどんなだったのかわからない。真昼の路上で缶ビールを片手にふらふら歩いていく人影。罵倒。
「生活館」という建物の4階で、やっと見知った顔に会いほっとする。ぞくぞくと集まってくる観客は、家を、いや、故郷をなくした人々。席を譲り合って、配られる蜜柑を分け合って、芝居が始まるのを待つ。おれは彼らの間で身を固くしている。芝居の始まる前から、その場所はおれにとって異世界だった。
糸姫モヨコを演じた山本紗由さんのブログ。
ura-chorale.jugem.jp
ロストノスタルジア。故郷喪失。二度と戻ることのできない、日常。
芝居のなかと現実と、どちらが過酷か。わからない。世界に忘れ去られた人たちが棲む街。
物語は前篇「公然たる敵」をなぞるように進む。どこかで見たシーン。繰り返されることで刻み込まれていく。微々だが変化していく人と人の関わりもある。自分がどこからやってきたのか知らないさすらい看護婦。遠い昔に我が子を捨てた乞食。卓袱台を囲む鉄屑屋の母娘。
これは前篇の「公然たる敵」からだが、ナガサキで被爆した鉄屑屋の母・ぴかどんの台詞を引いてみる。
故郷を喪くした異族たちが終わりのない旅にでる。これからはその足跡こそが壊れた世界の運命になる。だから求む、さがし求む、すばらしい敵を。敵が見いだされんことを、見いだされはしないことを。求む敵はまったく無防備で、立っているのもおぼつかなく、その姿さだかならず、ゆるしがたい顔をしているべし。ひと吹きで壊れるような、辱められた奴隷のような、合図一つで窓から身を投げ出す敵。打ち負かされ、目も見えず耳も聞こえず、話すこともできない敵を求む。腕もなければ脚もなく、腸も心の臓もホトも髑髏もない完全な敵を。かぎりなくどこまでも心の底から世界を憎むようなすばらしい公然たる敵を!
あの日以降、実を言えば誰もが故郷をなくしてしまったのだ。この日本という国の「安全」を。そういうものが存在したのだという幻想を。誰を憎めばいいのかわからない。何を憎めばいいのかわからない。信頼していた自分を? そうは思いたくない。どこまで逃げればいいのだろう。いつか帰れる日は来るのだろうか?
殺し屋五郎 一刻も早く非難しないと全員殺されちまうんだ
呉一郎 誰に
空気先生 安全に
殺し屋五郎 この国に
呉一郎 いったい何が起きたんだ!
(中略)
殺し屋五郎 爆発したんだよ
空気先生 安全が