〔日記〕此岸
- 灯が一つあつて
- 別れてゆく
- 山頭火
一月五日 霧が深い、そしてナマ温かい、だん/\晴れた。
種田山頭火 行乞記 三八九日記
朝湯へはいる、私に許された唯一の贅沢だ、日本人は入浴好きだが、それは保健のためでもあり、享楽でもある、殊に朝湯は趣味である、三銭の報償としては、入浴は私に有難過ぎるほどの物を与へてくれる。
石ころになったような日がある。買い物をしようと店に入っても、まったく店員に話しかけられない。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」そんな挨拶さえもされない。すれ違う人が派手にぶつかってくる。でも、ぶつかったことに気が付かなかったように、あたりまえに通り過ぎていく。そんな日は、おれの姿は見えているんだろうか、おれはこの世のものならざる者になっているんじゃなかろうか、なんて考えたりする。取るに足らない我が歩いている。
そんな日の黄昏時は、やたらと不安に苛まれる。通りを幾人も人が歩いているのに、その姿は確かに視えているというのに、此岸からは誰もが消えてしまったかのようだ。
夜が来る。いつものように店に入り酒を干せば、おれの輪郭はまたはっきりとしてくる。