「編集者になれ」ってそう簡単に言うけどさ
- 酔へばけふも
- あんたの事
- 山頭火
2015年最後の入日
一月二日 曇后晴、風、人、――お正月らしい場景となつた。
種田山頭火 行乞記 三八九日記
暁、火事があつた、裏の窓からよく見えた、私は善い意味での、我不関焉で、火事といふものを鑑賞した(罹災者に対してはほんたうにすまないと思ひながらも)。
紙媒体の雑誌に書くお仕事をいただくようになってから、編集者と会うことが増えた。編集者にもいろいろなタイプがあるのだな、と思う。赤が入って帰って来た原稿を見て、ほほう、なるほどと思う。
生まれて始めて書いてお金をもらった原稿は、案を提供しただけ? というくらい赤が入って掲載されていて、ちっとも自分で書いたものに思えなかった。赤で自分を否定されたような気がしたのだ。おれには売れる文章なんて書けないのかもしれない、と落ち込んだ。でも、一度そうやって落ち込めば、(多少は)謙虚になれていいのかもしれない。
物書きになって食っていこうと思う、と話したら、「じゃあ出版社に就職して編集者になればいいじゃない」と何人かに言われた。実際に就職先を斡旋してくれた人までいた。でもさ、他の作家に原稿を依頼するなんて、おれのプライドがずたぼろになりそうじゃない? そしておれは、とても読書量じゃかなわない。偏読だし。編集者と話をすると、その知識量におれはいつもたじろいでしまう。あれだ、おれはもっと勉強しないといけないのだな。
冬休みの宿題みたいに、年明け〆切の仕事をいくつかいただいた。大晦日も元旦も、仕事の文章を書き続けているわけだが、全然嫌にならない、むしろ、書きたくてしょうがない。やっぱりおれは向いているんだろうか。
「っていうか海明ちゃん、小説を早く書きなさいよ」
と会う人会う人に言われるが……。そうだね、おれは稼ぐことにかまけて、本来の目的をおざなりにしているね。小説を書くために就職をしなかったっていうのにさ。ライター業をやっていて結構楽しいから、これでいいのかなとも思ったりしたが、小説家へインタビューさせてもらたっりすると悔しい気持ちがフツフツと沸いてくるから、おれはやっぱり書いたほうがいいんだろう。