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ヒグラシ文庫8周年トークイベント「飲食店ラプソディ ──何の飲食哲学の欠片もなく」に行って来ました[丸山伊太朗×按田優子×中原蒼二×遠藤哲夫]

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ヒグラシ文庫8周年トークイベント「飲食店ラプソディ ──何の飲食哲学の欠片もなく」を聞きに、まちの社員食堂へ行って来ました。登壇者は、una camera livera(ウナ・カメラ・リーベラ)丸山伊太朗氏、按田餃子按田優子氏、ヒグラシ文庫中原蒼二氏。司会は大衆食堂の詩人、遠藤哲夫氏。

顔ぶれのきっかけは雑誌『Spectator』Vol.40 特集「新しい食堂」

この顔ぶれとなるきっかけは、2018年9月に刊行された雑誌『Spectator』Vol.40だという。この号の特集は「新しい食堂」。エンテツこと遠藤哲夫さんが寄稿した論考「結局、食堂って何?」の中で、ヒグラシ文庫店主・中原蒼二の著書『わが日常茶飯』が紹介されている。

「新しい食堂」を手がける三者がこの場に集ったというわけだ。イベントに先立って、ヒグラシ文庫の中原さんはこんな文章を寄せている。

「生きていくのが苦しいのは、自分自身の、自分だけの問題」と思っていたが、飲食店を開いてみると、大げさに言うならば、それは、世界の構造上みんなが抱えていた苦しさ…だった。(中原蒼二)

◆興味のあるものをどんどん取り入れる、丸山伊太朗さんのウナ・カメラ・リーベラ

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丸山伊太朗さん(撮影:大町ジロウ)

丸山伊太朗さんは1950年生まれ。1980年に無国籍料理店「カルマ」を開店した。この時代、カルマのような店は「インディペンデントな店」と呼ばれていた。2014年にカルマ閉店の後、シェアカフェ「una camera livera」(ウナ・カメラ・リーベラ、通称「ウナカメ」)を発足させた。

配布された資料には、なぜかパンが挟まれていた。丸山さんが焼いた天然酵母の「ココスキーパン」だ(名前に意味はないそう。ロシア語っぽくて格好良いからつけたらしい)。丸山さんは、まわりにあるものを面白がってどんどん取り入れていく。それが店を続けていくコツなんだそうだ。丸山さんの仲間たちは、鎌倉でもお店を手がけている。たとえば、ワンダーキッチンCafe GOATEE、それからcafe vivement dimanche。なるほど、そのまったりとした空気感は、どこか共通するものがある。

◆お店をやるつもりもなく餃子も好きじゃないのに始まった、按田優子さんの按田餃子

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按田優子さん(撮影:大町ジロウ)

按田優子さんは1876年生まれ。他の登壇者からすると娘くらいの年齢。2012年に按田餃子を開店し、写真家の鈴木陽介氏と共同経営をしている。もともとは製菓・製パンの仕事をされていたそうだ。その頃は「絶対お店なんてやらない」と思っていたという。

2011年の震災の後、試しに冷蔵庫の電源を抜いてみた。お肉だって塩で漬ければ保存食になるし、魚だって買いすぎなければ冷蔵庫は必要が無いと、身を持って学ぶ。そんな生活で得た経験が『冷蔵庫いらずのレシピ』という本になった。

この本の出版がきっかけとなって、カメラマンの鈴木陽介氏と知り合う。鈴木さんは水餃子屋をやるのが以前からの夢だったのだそうだ。そんなわけで按田さんはなぜだか、「餃子は全然好きじゃない」のに、自分の名前を冠した餃子屋を始めることになった。

現在、代々木上原のお店はアルバイト50人、二店舗目の二子玉川のお店はアルバイト30人という大所帯! アルバイトスタッフたちは、それぞれ自分の出勤可能な時間をパッチワークのようにつなぎ合わせてお店を回している。2019年4月14日(このトークイベントの翌日)で7周年を迎える。

◆心細いときに集える場所をつくろうとした、中原蒼二さんのヒグラシ文庫

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中原蒼二さん(撮影:大町ジロウ)

中原蒼二さんは1949年生まれ。北九州のフリーペーパー『雲のうえ』を立ち上げたプロデューサーだ。2006年の創刊号は「角打ち」が特集だった。

角打ちとは、酒屋の片隅で、その場で買った酒を売値で飲める店のこと。呼び名の由来は、「日本酒を量り売りするための四角い升の角から飲むから」とか「酒屋の片隅(角)で飲むから」など諸説ある。ともかく、そんな気軽に安く飲める酒屋が、人口90万人ほどの北九州市には150軒以上もあるという。

中原さんは北九州での仕事を退いた後、逗子へ移ってきた折に震災に遭った。その日も逗子の立ち飲み屋はロウソクを灯して営業していた。心細いときに集える場所が立ち飲み屋なのだという意識を強くした。

飲食店経験のまったくない中原さんだったが、旅先の沖縄で見かけた酒場の様子が背中を押す。市場にあったその店は、通常営業が終わってシャッターの降りた店先に会議用の長机を出し、一升瓶とコップだけを用意して営業していた。「これならおれにでもできる」と思ったそうだ。そして2011年4月20日、鎌倉でヒグラシ文庫を始めた。

三者三様な彼らの共通点は「ボヘミアン」

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エンテツこと遠藤哲夫さん(撮影:大町ジロウ)

三者三様の飲食店経営者を、司会のエンテツさんはこんなふうに評した。

丸山伊太朗さん・・・複合融合的
按田優子さん・・・ファンタジー的
中原蒼二さん・・・私小説的

三者三様ではあるけれど、彼らには「ボヘミアン」という共通点があるという。ボヘミアのジプシーが由来であるこの言葉は、旅人的な生き方をしている人たちのことを指す。自由で解放的かつ、開放的。きちっとした生き方から逸脱した人たち。

◆複合融合的な丸山伊太朗さんのシェアする経営

団塊の世代である丸山さんは、大学卒業後に就職先がなかなか見つからず、最初は保育士という道を選んだ。毎日子どもたちの様子を見て、その日のスケジュールを考える。それが「違う人たちがひとつの場所に集う」という面白さを知る原点となった。

お店を続けていく方法を探した末、苦し紛れにたどり着いたのが「シェア」というやり方だった。「負けたまま勝つ、つまりは生き残ることが大切だ」と丸山さんは言う。最初は広報にも力を入れていたが、それよりも自分が楽しいことを探すことが大切だと気づく。そして、集まってきたお客さんのニーズを次々に取り入れることにした。壁をギャラリーにしたり、バー経営をしてみたり。そうしているうちに、お店にやってきた人が勝手に勝負をしてくれるようになった。この場所を使い、自分たちの思いを表現しようとする人たちが店に集まってくる。

◆ファンタジー的な按田優子さんの共同経営

共同経営は難しい。まさにエンテツさんが評するように「ファンタジー的」だ。按田さん自身もうまくいかなかった場合を始めから想定して、知人は巻き込まず「貯金がなくなったら即解散!」を合い言葉に鈴木さんと経営を続けてこられた。「信用できなかったらやめればいい」とも思っていたそうだ。その割り切りが、共同経営というファンタジーを成り立たせているのだろう。

共同経営者の鈴木さんは、高校時代に通学の電車で見かけた可愛い女の子に声を掛けられなかったことをずっと後悔していて、「やらずにあきらめるのはやめよう」という信念からお店を始めることに決めたらしい。カメラマンとして「他人のクリエイティビティに指図するのは失礼」という意識を持っているから、按田さんの料理に対して意見は言わない。ふたりは、自分たちの大切にしている領域がまったく違う。「こういうお店があったらいいのに」というイメージはすべて、鈴木さんのカメラマン目線から生み出されている。中性的な料理を出す、公園みたいなお店。使い方を指図されず、来た人の都合によって好き勝手に過ごせる場所。それが、按田餃子なのだ。

◆私小説的な中原蒼二さんの無計画経営

中原さんが店を始めたのは、「人間にはすがるような場所が必要だ」という私小説的な思いによる。「経営計画は無駄だ」というのが信念。思い通りならないのが面白い。飲み屋の理想は「パサージュ」。経過していく場所。入口と出口が別にあるような店(ヒグラシ文庫にはないけれど)。

中原さんは、自分は勤め人には向いていないと言う。ぼーっと番台に立っているような仕事に憧れていた。どうせやるなら、飲み屋と古本屋を一緒にやってしまえ、と考えて今の店のかたちになった。飲食店とは、「人生の落伍者が最後に食っていくための方法」だと中原さんは言う。そして飲み屋を始めてみたら、そんな人生の落後者がわりと多いことに気づいた。

生きていく手段としての飲食店

飲食店は未だに、あまり尊敬されない職業かもしれない。「大学まで出て飲食業だなんて!」という親御さんのセリフがどこからか聞こえてきそう。「いい大学を出て有名企業に就職して出世すれば幸せ」という神話は根強い。でもそれが、もはや神話でしかないことを、今を生きる私たちは知っている。

「飲食店じゃなくてもいい。無理に勤めて自分の時間を切り詰めなくても、生きていく方法はあるのだと知って欲しい」と丸山さんは話す。その言葉から『しょぼい起業で生きていく』という本を思い出した。

まっとうに勤めなくても、雑草のように「しょぼく」、しぶとく生きていく方法はある。そんな生き方があるということ、そんなふうに生きている人もいること。それが、若い世代に限らず、生きづらさを感じている人たちへ広く届くといい。

最後は、中原さんが笑顔で言い放ったこのセリフで締めたい。

「いいかげんな連中が生きていけるっていいですよね!」


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