〔日記〕理想は失踪だ
- なんぼたゝいても
- あけてやらないぞ
- 灯取虫
- 山頭火
途上、運よく出逢つた屑屋さんを引張つてきて新聞紙を売る、代金弐十弐銭也、さつそく買物をする、――ホヤ八銭、タバコ六銭、シヨウチユウ四銭、そして入浴して、まだ一銭余つてゐる!
種田山頭火 行乞記 大田
南無新聞紙菩薩、帰命頂礼。
水無月十日、晴れ。
葬儀に参列すると、自分の場合はどうして欲しいかなんて考える。
とにかく喪服は嫌だな。
ドレスコードは真紅や極彩色で、おれの昇天を祝って欲しい。
一番の理想は、失踪だ。
看取ってなんか欲しくないし、布団の上でなんか死にたくない。
死期を察した猫のように、いつのまにか姿を消して、どこか南国の山の中で野垂れ死んで土に帰るのだ。
義母さんが亡くなって一週間。
もうまっとうな服装をするのに嫌気がさしている。
完全に普段通りのTシャツ短パンで麦わら帽子をかぶり、喪主の妻は夏休みの小学生みたいな格好で告別式に向かうのだ。
Tシャツはバランの柄にした。
それはやっぱり、今日は「つま」だから。
まっとうな妻を演じるのは気が重い。
このままトンズラしてしまおうかとも思ったが、思い直してジロウの傍についていることにする。
キオスクで炙り明太子おにぎりと鮭いくらおにぎりを買い(魚卵好き)、電車のなかでむしゃむしゃとほおばる。
余裕で遅刻して、喪服に着替えて斎場に向かう。
今日もまた、お辞儀のたびによろよろとよろけている。
告別式、初七日法要。
棺にお花を入れて義母さんと最期のお別れ。
「火葬場では棺を開けませんから、これが最期となります。どうぞ、お声を掛けてあげてください」
葬儀場の担当君が言う。
ジロウは無言で、お義母さんの頬にそっと手を当てた。
それは、どうしようもなく涙があふれてくる光景であった。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりつつ、お義母さんの遺影を持つ。
マイクロバスで高速に乗って火葬場へ。
最後のお焼香をして、精進落とし。
火葬場は混み合っていた。
お義母さんの隣の炉に飾られた遺影は、まだ若そうな男性だった。
お骨を拾う。
心臓の手術をしたときの針金が、あばら骨にぐるぐると巻き付いていた。
実家に戻り、しばし親族一同と団欒。
皆を見送った後、ダイニングで茫然とする。
髭を剃ってスーツを着て、子どもたちに囲まれているジロウは、七年前の初めて会った頃のジロウみたいだった。
そのまま過去へ戻っていってしまうんじゃないかと、おれはずっと不安だった。
ジロウはなかなか腰を上げない。
27才まで住んでいたという、この家。
もう家を出てからの歳月の方が長くはなっているけれど、ここはジロウの家だったことには違いない。
そのまま、ここから帰ってこなくなってしまうんじゃないか。
おれには居心地の悪いこの家から。
泣きながら小声で「早く帰ろう」と言う。
私たちの家へ、一緒に帰ろう。
ダイニングがおれには、永遠に抜け出せない牢獄のように見えていた。
このままここに閉じ込められてしまうのか。
それともジロウをここに置いて、おれだけ独りで去って行くのか。
ふいに、ジロウが、
「そういえば、猫がいるんだよ」
と言う。
「えっ、どこに」
「庭にね、黒猫。まだ生まれて一年経ってないくらいの。昨日庭の石の上でドベっと寝てた」
話をしていたら、ちょうど庭からニャアニャア鳴く声がする。
カーテンの隙間から覗いて見たら、尻尾の長い子猫と、カギ尻尾の母猫が雑草の中でじゃれ合っていた。
母猫がこちらに気づいた。
逃げるのかと思ったら、近づいてくる。
懐きにきたのではなく、シャーッと威嚇をしに来たらしい。
ジロウが「大丈夫だよ、大丈夫」と猫をたしなめている。
母猫は落ち着いたふりをして、大きくあくびをした。
「ああ、戸締まりをしないとね」
ジロウが雨戸を閉め始める。
猫登場のおかげで、空気が変わったようだ。
雨戸を閉めるのを手伝って、実家を出る。
鎌倉に戻って、あさつきへ。
やっちゃんは早くも店じまいの準備をしていた。
日本酒、蛤の酒蒸し、ホヤの塩辛。
買い物をしながら帰る。
家で鮪三昧のお寿司、冷や奴、日本酒。
ジロウは泡盛。
くたびれきって寝落ちする。