アカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG)の役員を退任します。
私、野原海明(のはら・みあ)は、2018年1月31日をもってアカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG)の役員を退任し、退職することとなりました。
スタッフとして加わってから3年、取締役に就任してから3ヶ月。こうして文字にしてみると、我ながら早すぎる退場……このタイミングで去って行くことは悔しくもあり、しかしいつかは辞めなくてはいけない日もくるだろうと思っていた。きっと、すっきり業務の区切りがつくタイミングなんて永遠に来なかっただろう。とすれば、今が去り時なのかもしれない。一緒にお仕事してきたみなさま、本当にごめんなさい。
岡本真と出会ったのは、2014年の今頃に開催された、猪谷千香さんの著書『つながる図書館』の刊行記念トークイベントだった。当時のブログが残っている。
そのときも私は人生の岐路にいて、非正規ながらも収入の安定していた図書館の仕事を辞め、新しいことに挑戦したいと考えていた。Twitterのアイコンよりもずいぶん丸っこい岡本さんは、「神奈川の県立図書館を考える会」の取り組みについて語っていた。その話は、「しがない非常勤司書の自分には、社会を変える力なんてない」といじけていた私を強く揺さぶった。
岡本真という人は一体どんなふうに仕事をしているのだろう。できることなら一緒に仕事がしてみたい。
そのとき、たまたまReadyforのキュレーターの求人が出ていたのを見つけたのだ*1。緊張しつつ、岡本真へFacebookでメッセージを送った。Facebookメッセンジャーを、2014年まで掘り返してみる。
2014/02/18 12:41
岡本真さま
ブログに緑のスターをありがとうございました。
直接お話しをお聞きして、岡本さんの行動力・実現力の凄まじさをひしひしと感じました。すごい方と同じ時代に生きているのだなと感動しています。
私はといえば、文筆だけでは食べられないだろうという逃げから、図書館委託会社の契約社員という職を選んで6年が経とうとしています。用意された業務を的確にこなしていくという仕事は、物書きの傍らに続けていくにはさほど労力が要らなくて丁度良いものだと思っていましたが、ここにきて物足りなさを感じるようになりました。
丸山さんからご紹介していただいた3年前には、「自分の頭で考えて、自分で仕事を切り拓いていく」という働き方をする自信が私にはまだありませんでした*2。今、READYFORのメンバーの皆さんのページを拝見していると、当時の私よりも年若い人たちが活き活きと仕事をされている様子が伝わってきて、頭が下がります。そして私も、自分であるからこそできる仕事をしてみたいと、強く思います。
まずはREADYFORのキュレーターから挑戦させていただきたいと思います。
後ほど、事業部のアドレスへ申し込みます。
直接お会いできてうれしくて、長文になってしまいました。
どうぞ今後とも、よろしくお願い致します。 野原海明
2014/02/22 0:56
先日はありがとうございました。
レスポンスが遅くてすみません。
いやあ、ついにお目にかかれました!
READYFOR?のキュレーターにご応募いただけるとのこと、たいへんありがたいです。
と、同時に弊社は表向きには出していませんが、常時契約パートナーを募集しておりますので、もし、ご関心あれば、一度、横浜に遊びにいらっしゃいませんか?(そして、その後は当然飲みです)
何が「当然」なのだかよくわからなかったが(笑)、酒飲み同士、気が合いそうだなということはわかった。
面談での岡本さんと李さん*3の話はとても刺激的で、生けるビジネス書みたいだと思った。やり通す自信はおぼろげだったが、少しずつ業務を請け始める。
OpenGLAM JAPANの事務局、図書館総合展のブース運営。図書館司書の勤務と並行で仕事をしつつ、あっぷあっぷしていた1年目。2015年1月からは図書館の勤めを辞め、本格的にARGのプロジェクトに加わった。定職を辞めると決めたとき、当時も今と同じように、まわりのみんなからはとても心配された。
乗り物恐怖症だったはずなのに、立て続けの出張という荒治療でいつのまにか克服していた。退屈している暇はなく、ひとつの仕事が終われば、また新たな挑戦がある。それは大変ではあったが、とても充実した日々だった。
物書きとして働きたくて、就職活動をしないという決断をした学生時代。生活の糧となる仕事に図書館を選んだ。でも、せっかく図書館で働くなら、いつでも最先端の情報が得られるところにいたい。ひとつの場所に留まらず、日本中の図書館のプロと仕事をしたい。そんな夢を思い描いていた。まさか、そういう職業が存在するなんて思っていなかったが、それはARGで実現したのだ。
2017年の慰安旅行、大分空港にて。李さんが写っていないのは、撮影したのが李さんだから。でも、試し撮りしたこの一枚の、李さんに向けたみんなの表情が好きなのである。
いつしか、小説を書かなくても生きていけるようになっていた。創作の世界よりも、現実のほうがずっと面白いと思っていた。でも、青春の思い出としてしまい込んだはずの創作意欲は、舞台で演じる経験をした後、せきを切るように暴れだした。
ブログで日記を書こうにも、鬱々としたことしか書けない。苦も無くできていたはずの仕事ができなくなった。自分の中で、何かが壊れてしまったことがわかった。
大晦日のさすらい姉妹の芝居公演の後、役者の何人かと新宿の花園神社へ初詣に行った。花園神社には、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)を祭った「芸能浅間神社」という小さなお社がある。混み合う本殿はご遠慮して、藝能の神様に挨拶する列にならんだ。
「藝能の神様、どうか教えてください。ひょんなことから藝能の途に足を突っ込んでしまったのだけれど、私はこのまま進んでもよいものだろうか。それとも、すっぱり足を洗って、まっとうな途に戻るべきだろうか」
答えは知っていた。藝能の神ならこう言うだろう。
「この世の果てまで流れてゆけ!」と。
踏み込んでしまったのなら仕方がない。しばらくはこの身を、藝能の神に預けてみよう。
3月の三重県津市芸濃町での公演、4月の新宿花園神社での公演と、水族館劇場の芝居はしばらく続きます。当座はそちらに注力しつつ、ずっと本腰を入れたいと思っていた、ライターの仕事を本格的に始めたいと考えています。そしてもちろん、小説も。命の尽きるその日まで、書き続けようと思います。
この段階での役員退任は、挫折と言ってしまえばそうかもしれないけれど、それで終わりにしたくない。あらためまして「野原海明2.0」を、どうぞよろしくお願いいたします。