〔日記〕嫌いな人の嫌いなところを真似してみる
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宿に戻つて、すぐ入浴、そして一杯、それはシヨウチユウ一杯とドブ一杯とのカクテルだ、飲まずにはゐられないアルコール(酒とはいはない)、何とみじめな、そして何とうまいことだろう!
種田山頭火 行乞記 (一)
神無月十五日、小雪。雨のち晴れ。
体育会系で先輩風吹かせる人は、なんてカッコ悪いんだろう、大嫌いだ、と思っていた。それは中学生のときからそうで、だから私は先輩にはため口で話していたし、後輩には丁寧に接するように心がけていた。
しかし、嫌いな人というのは自分の投影なのだ。自分の中にある気質を、その嫌いな人に重ねて見ているだけなのだ。だから本当の私は、すぐに先輩風を吹かせたがるヤツそのもので、それを自分に制しているからこそ、先輩ぶる人が羨ましくて嫌いなのだ。
「嫌いな人に投影しているイヤな自分の部分」を克服するのには、「嫌いな人の嫌いなところを真似してみる」のが手っ取り早い。そして、「自分の嫌いな自分」を前面に出してみたところで、案外他人には嫌われないものなのだ。
私の親しい人は年上ばかりで、年下はまわりに少ない。それは、私がこれまで全力で年上に甘えてきて、そのくせ年下には遠慮してきていたからなのだろう。年齢で線を引いて、自分の方が年上だからって先輩ぶるのはカッコ悪いと思ってた。でも、本当は私に、そういう「エラそうだけど頼りになる先輩」を求めていた年下も、きっといたんだろう。そういう後輩にとって、丁寧で遠慮がちに接する私は、ちょっと物足りないものに感じられたかもしれない。
なんてことを思っているんだけど、年下のみなさん、いかがでしょうか。
呑みすぎでぐだぐだ寝ていると、色濃い夢を見る。夢の中で私は久しぶりに死んだ母親と再会していた。母親は私が知っている母よりもずっと若くて、へにゃへにゃとしていた。私を産む前の、今の私と同じくらいの年齢だったのかもしれない。
いつものように母の運転で車に乗るが、母はちっともハンドルを握らないでヘラヘラしている。私は助手席から身を乗り出して、必死にハンドルをつかんで「あー、もう! 私が運転したほうがまだマシだわ!」と叫んでいる。
場面は変わり、実家の私の部屋のソファーベッドに似た、宇宙のどこかの空間にいる。そこは星空の中に浮いている宇宙船のような場所で、母はやっぱり死んだときよりもずっと若い。そして夢はとてもリアルで手触りがあり、意識もしっかりとしていた。
「淋しいから、またこうやってときどき会いに来て」
と私は言う。
「いいよ」
といとも簡単そうに母は答える。
「あ、でも、輪廻転生とかするなら、無理して来なくていいから」
「あー、そっか。輪廻とかあるんだっけ。忘れてたわ」
しょうがないなぁ、と思って、母に輪廻転生とは何であるか、説いて聞かせようとする。枕元の古い携帯電話が赤く点滅している。説明しようとすればするほど、舌がもつれてうまくしゃべれない。
はっと目が覚める。輪廻転生のことは、話してはいけないワードだったようだ。時間切れだ。カーテンレールのあたりに、バレーボールくらいの大きさの火炎土器みたいな形をした黒い円盤が浮かんでいた。何度か瞬きしたらそれは消えて、普通の現実の夜になった。
正午少し前に目覚める。ジロウのつくった、カシワ風(鶏肉でなくて豚肉が入っている)素麺を食べる。風呂でのんびり本を読んで、家を出る。15時頃、おやつのように太陽堂のらーめんを食べる。
こーへーのヨーヒー(THE GOOD GOODIESの陽平くんによるコーヒーを我が家ではそう呼んでいる)で一休みして久里浜を目指す。ジロウが庭を片づけるのを見守って(というか、その間ゲームをして)、だるまへ。熱燗、常温、鶏ナンコツ、レバー、若鶏の揚げたやつ。
鎌倉に戻って釈迦へ。日本酒、カキのグラタン。